敗戦により葬り去られてしまったが、日本にはかつて立派な歴史教科書があった。
『初等科国史』は、戦後すぐにGHQにより廃止・回収・処分され、歴史から消された教科書である。
それは、祖先と我々をつなぐ物語が、格調高い美文で綴られており、近代日本画調の挿絵や地図、写真など約140点もあったのだとされる。
敗戦後、我が国の歴史教科書はGHQによって彼らに都合が良いように全面的に改められ、日本だけが悪かったのだということにされてしまって、近年では近隣諸国にその内容を配慮するような状況にまで追い込まれているから、事実と違うものになってしまっているとさえいわれている。
敗戦前の、外国の力が作用していない、純粋な我が国の歴史教科書は、どんな内容だったのだろうかと興味深い。
日本が鎖国政策をとる前、八幡船や末次船に乗って交易する戦闘団は世界最強だった。
装備する銃はスペインやポルトガルを数量でも圧倒していたし、修練された船員の剣技は船上にあっても驚異的であった。強いだけでなく、何よりも交易では信義を優先したから、東南アジア諸国での信頼は厚かった。
日本船を偽装して他の国が倭寇として振舞ったことで誤解されていることが多いようだが、偽物の彼らはすぐ逃げるので、そこに歴然たる差があった。
日本の船に乗る者たちは、信義を破る者たちに対しては信じられないくらいの戦闘力をもって容赦なく報いる集団でもあった。
それらの実力を抱え込んだまま鎖国してしまったのであるが、いつでも外に向かうことのできる力は保持していた。
東南アジア諸国には他の地域と違って白人国家というのがない。いざとなったら出てくる日本のそういう勢力を恐れてのことであったのは疑いをはさまない。
戦前・戦中の歴史教科書といえば、「軍国主義」、「皇国史観」の洗脳、というイメージが真っ先に思い浮かぶ人の方が多いだろうが、敗戦前の歴史教科書と、それを徹底的に忌避して到達した現在の教科書は、当然ながら対極的な関係にある。
イデオロギーの影響を抜きにしてそれらをみるとき、まず伝わってくるのは、当時の教育水準の驚くべき高さである。日本書紀の一節から始まり皇室用語をはじめ、戦後世代が習わない言葉が散見される。情報の量も多く、今の小学生の歴史教科書と見比べると、その差は歴然としているのだという。
理想の歴史教科書とはどのようなものなのか。また歴史教科書は今のままでよいのか。我が国の歴史教科書のあるべき姿についてはそろそろ考え直してみる必要があるのではなかろうか。
国粋主義だと批判する前に、謙虚に検証しても良いのだと思う。
日本が明治維新を成し遂げ、その後に発展を遂げられたのは、富国強兵策を実施したからではない。もともとその素地があった。
遣隋使・遣唐使の時代からそうであったように、他の優れたものを謙虚に認めそれを取り入れることがあたりまえにできる能力が備わっていたからである。
他国の悪口や至らぬ点を論って自己満足に浸るようになると道を誤る。なんでも外のものが良いとして今あるものを否定することも同様の結果をもたらす。
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