2021年7月14日水曜日

好き勝手に自国の悪口を言える国

 

自分の生まれた国が平和に発展することを願うのは、国粋主義でもなんでもない。

良いことは良いとして自信を持つことに憚ることはない。

それは自国のことのみに終わるのではなく、広く人類全体に及ぶ基本的な感情である。

自国のことを悪く言う人が他国を尊重できるわけがないのが理屈として当然なことであるとしたら、悪口を言う人たちの狙いは何なのだろうか?

一部の人たちが未だに続ける日本を悪者扱いしたり過小評価したいがためと思える喧伝に惑わされることなく、日清・日露戦争に勝ち抜くまでの元老や閣僚たちの隠れた働きくらいは知っておいた方が良い。

 

国の安全な発展を願い、当時の西欧列強の思惑を情報として知悉し、確かな分析のもとでそれらを見定め、いかにして対応したのかは隠されてしまっていて正しく伝えられることは極めて少ない。

当時の為政者たちが情報をどうやって手に入れることができたのかわからないが、必死だったからできたのだと思う。

ロシアを東洋に向かわせようとするドイツの画策を読み切っていたことが推定できる。

手の内を明かすことができないから、様々な批判に耐えながら黙して責任を全うしたのであることがわかる。

陸奥宗光・小村寿太郎なども無能呼ばわりされて、それが歴史事実のように語る人さえいるが、彼らが一体何を知っているといえるのか。実績はとんでもなく大きい。

為政者たちは落としどころと先行きまで読んで、命がけで行動していたのである。

松岡洋介も、戦後の我々が知らされているような人物だったのかどうか、検証してみないと解らない。もしも言われているようなものだったとしたら、GHQが躍起になって彼の資料を消し去ろうとしたのは何故だったのか?

 

人間観、国家観、歴史観 世界観。そういうことを当時と今を比べてみるに、我が身を捨ててまで、真剣に考えて世の中の為に尽くす人が少なくなってしまったように思えてならない。マスコミや野党による攻撃を避け、損得や人気取りにばかり意識を向けていればそうなる。

 

何が目的なのか解らないが、どこの国の人間かと思ってしまうほどに、自国のことを貶め無視して、他国を優先したい議員や識者?も多い。自国を貶めるのが平気な人が、他国を大事にできるわけがない。

即ち、思惑は別のところにあるということになる。スパイ行動と言っても過言ではなさそうなことをやっているということになるが、日本では咎められることなく大手を振って人前に出ている。

誰がそうさせているのやら知れないが、報いは自らに返ってくるのが天の摂理である。

これは日本に限ったことではなく、人類に共通して働くものである。

 

最近の中国が戦狼外交と呼ばれることにも意を介さず近隣諸国との摩擦を加速させているのも、国内政治に行き詰まり、政治指導者たちが自分たちの権益の保持のために、国民の目を外に向けたいがための手段のように感じられてならない。

同様に、韓国は日本からの資材や部品・工作機械の輸入なくしては成り立たない構造になっているのに、躍起になって日本悪者説で自国民を煽るのも、自らの経済政策の失敗を隠そうとするあまりのことのように見えてならない。

苦しいと目先の欲につられ、大前提を誤る。

それにつけても、日本人でありながら日本を貶めるのに熱心な人たちは、一体何を考えているのだろう?そうすることが先進的であると思っているのだとしたら、日本以外の国では通用しないと悟った方が良い。自由にものを言ってお構いなしというのは有難いのだと思うところから始めたらどうか?

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