2016年3月12日土曜日

一番厳しい結果責任

全体像というものを掴まないと、公正公平な評価はできないのだと思う。

戦前戦中の日本が良かったとは言わないし、今が悪いとも思いません。
先人たちのお蔭をもって、今は平和で豊かに暮らせていることに感謝しています。

考えてみると、一番厳しい形で結果責任を問われるのは、戦争なのではなかろうか。殊に負ければそれは厳しくなる。
仕方ないこととはいえ、外交も戦後教育も、重すぎる荷物を背負わされているように感じられてならない。
全てにわたり日本が悪かった。殊に、一部指導者と軍人が槍玉にあげられ、それにより彼らが悪かったのであり一般国民も被害者であったと、一括りで真実から目を逸らされていることが多々あるように思われる。
それを匡だそうとするには抵抗が大きすぎるとして口を噤んではいるが、忸怩たるものがあると思っている人たちも多いのではなかろうか。
ましてや一部知識人?が「戦いで死んだのは犬死だった」などと言い放つとき、「そうではない。どの口がそんなことを言わせるというのか。人間性のかけらも感じさせない冷酷さ以外の何物でもない。」と思っているようにも見える。
国の為、ふるさとの為、愛する家族の為、将来の発展のためと信じ、誇り高く戦い散って行った人たちに向かって、かりそめにでも言える言葉か。

TVなどで、戦友たちが集まった場面の報道がある。
その存在或いはあり方にいろんな意見は有るが、彼らは「靖国神社で会おう」と誓い合い共に戦ったのだと涙ながらに語る。正々堂々、潔く戦ったのだと。
生き延びてしまった分、残された者の務めとして、復興の為に命がけで一所懸命だったと口にしあう。
涙なしには見続けられない。感謝の気持ちで一杯になる。

物事には原因というものがあって起こる。「起」の部分を検証しないで「果」の部分だけを問題にするのでは、全体像は掴めないし、浮かばれない思いをいつまでも残すのではなかろうか?
冷静に考えてみるとき、そこに行きつく流れというものを無視はできない。

開戦に至るまで、それを避けるために陛下をはじめ、その立場にある人たちが並々ならない努力をしたことは、伏せられたままである。
30倍の国力を持つ米国と戦うことの無謀を、指導者たちは十分に理解していたことが窺える。
それでも、やむを得ないとして決断に至った経緯を無視して、後世の者が軽々に論ぜられない。

座して滅びるのを待つのか、敵わぬまでも戦って、後世の為に民族の誇りを伝え残すのか?
植民地支配をされることがどんなに過酷なことか知りえたことも、明治維新を成し遂げた原動力である。そういう世界であった。
日本も植民地支配をしたかのように言う人もいるが、植民地が当時どのようなものであったのか解って言っているとは思えない。
統治した国に学校を沢山作り、教育を施した一事だけをもってしても、全く違う。
国連で人種差別の撤廃を提案した最初の国なのである。五族協和を目指したのでもある。

西洋列強は、東南アジアの植民地を継続確保するためには、東洋で唯一の独立国である日本が、目障りであったに違いない。
ヒトラーは、ユダヤ人の殲滅を謀ったというのは知られているが、ルーズベルトも日本に対しては、そういう認識に近かったのではないだろうか。
ABCDライン(アメリカ・イギリス・チャイナ・オランダ)による経済封鎖は、日本に野垂れ死にを強いるに等しかった。
極め付けが、ハルノート。それはもはや宣戦布告というに近かったのだと思われる。

敗戦後の東京裁判は、国内法によってではなく、事後法ともいえる、それまで世界のどこにもなかった法によって裁かれた。
後に、その裁判の時の判事も検事も、それを指導したマッカーサーも、あの裁判に否定的な言葉を残している現実は重い。

勝者の論理に従いA級戦犯とされた結果も、受け入れた以上、我が国は守らざるを得ないが、一身に背負って残してくれた国を、誇り高く繁栄させていく重大な責任が、我々に残る。
経緯を段々に知るにつけ、そう思わざるを得ないことが多々ある。


0 件のコメント:

コメントを投稿