2016年3月21日月曜日

遣唐使は儲かったがリスクも大きかった

日本には、神として祀られている人が沢山いる。
菅原道真 平将門は、祟りを鎮めるために神として祀られたということになっているが、果たしてそうなのだろうか?
例えば菅原道真公であるが、神社の名前は天満宮。祟りが天に満ちるように等と言う名前にするだろうか。

菅原道真といえば、遣唐使の廃止をしたという功績がある。
当時、遣唐使にともなう交易の利益は莫大で、400倍の差益があったという。
遣唐船が無事に戻ってくる確率は4分の一。それでも利益は100倍になる。
これを藤原氏が独占していた。
それはいいとして、船が戻るときに中国人も一緒にやってくる。それによって、わが国に今までなかったような犯罪が多発した。

彼の国には、人肉を食べるという風習があり、孔子の時代には「自国(中国内の国)の人間でなければ人間でない」という考え方があって、戦争に勝利した時、他国の人間を奴隷として輸入し加工し食べていたようです。
世界には、カニバリズムと呼ばれる人肉を食べる風習があるというから、他の地域になくはなかったとはいえ、中国人はあきらかに人肉を食べることを楽しんできた。
人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)こういう記録が中国の史書の随所に見いだされる。あの春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味した。宋代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。

こういう犯罪が持ち込まれることは民の嘆きであったから、「おおみたから」である人民の願いを聞いてということと、派遣時に失われる優秀な人材というリスクも回避するべく、朝廷の多くの公家たちの反対を押し切って、遣唐使を廃止したのである。
当然、利益をあげる道を断たれた公家たちの恨みを買い、冤罪を仕立てられ大宰府に流されて、そこで死んだ。
道真の死後、京都には疫病が流行し、関係した公家たちも次々に命を落としたのだというし、天変地異も続いたことから、菅原道真の霊を慰めねばならないということになった。

そんな思惑とはかけ離れて、祀られた神社は学問の神様として多くの人民から尊敬され支持されたから、今に至るも神社は多くの参拝者で賑わいをみせている。


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