2016年3月9日水曜日

過程の努力も評価されると良いのだが

結果至上主義というのがあります。
確かに、結果を目的通りに出せなければ価値がないということはあるでしょう。
例えば、ビジネス、受験、極めつけは戦争などがそうです。
だからといって、そのためには何をしても良いのだということにはならない。
自ずから人間としての範はある。

どんなに頑張っても、定められた結果を出せないのであれば評価に値しないということになれば、努力する意欲というものはなくなる。
物事には起承転結がある。まず何をなさんと志したのか。それをどのように行動に移しどのように励んだかということを抜きにしてしまうと、結果を得る為によからぬ方法をとることを考える人だってあらわれる。
人間生まれてから死ぬまで限られた時間のうち、9割以上が「過程」にあたる部分だと思う。

結果が出せないならその人が努力をどんなにしても評価しない、頑張る過程で流した血や汗や涙は無意味だと切って捨てるのは、余りに非人道的ではなかろうか?
しかしながら、過程段階を評価することがあるのは、小学生低学年くらいまでで、実社会に出ると通用しないのが現実であろう。
全体像をとらえて評価する術というのは、いまのところなさそうです。

スポーツなどに於いては、結果が出なかったとしても、戦っている姿が感動を与えるということはありますが・・・

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