2016年3月5日土曜日

女性が以外に意識していない影響力

日の本は 岩戸神楽の始より 女ならでは夜の明けぬ国と歌われるように、わが国は女性の意思が底流で大きく働いている。
世の中は、女の望むように変わるといわれますが、それだけに女性の自覚というのは重要なのだと思います。

良妻賢母という言葉がかってはあった。尊敬の言葉でもあった。
表の部分は男が全身全霊をもって力を尽くし、基盤の部分を女が支え、お互いがその持ち分を尊重しあえているうちは良かったが、いつの間にか勘違いする男が多くなるにつれ、女も表にでなくてはならないのだという意識が拡大したのは、歴史の趨勢でもある。

しかし、今度は女の側にも勘違いは生まれることにもなったように思える。
子に、ちょっといい生活ができるようにとだけを望むのでは、目先の損得しか考えない大人にしか育たないことになる。
志高く、世の為人の為に働こうとする人材を育成するよりも先に、権利を主張することのみに走る人もでてきたのは、仕方のないことかも知れない。特性を生かし合うことは、思案の範囲外になっていってしまったように見える。
結果として、さしたる努力をしなくても全てが同権であるとする男女が増えていった。

同権であるのが悪いのではなく、目先に追われて、特性を生かし合うということが押しやられてしまっていないかということが気になる。
母親の影響力というのは、父親以上に極めて大きな影響力をもつ。
男に子は産めない。釈迦も弘法もひょいひょい産むようなことはできないのであります。

表面的に現れる損得が、人生の重大事と捉えられれば、それが過度の競争心を生み出すことにもなりかねない。
全ての人がとまではいわないが、志を高く掲げて働こうとする気が薄れていってしまう人が増えていくのは、やむを得ないのかも知れないが、秘かに危惧も抱くこの頃です。


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