2016年3月17日木曜日

ものを言うのに用心しなくてはならなくなった?

教育というのは、有る部分で強制の側面をもつこよに疑いは差し挟めない。殊に躾けであれば尚更である。
子供が嫌がることはさせないとか、自主性に任せるとかだけでは、社会に適応できる人格は育たないし、最悪の場合は反社会的な考えや行動をとるような大人にだってなりかねない。
コンファタブルなものだけで世の中は成り立っていない。

個人の判断というのは、人間のみに許されているのかも知れないが、一定のルール内である筈であり、何でもかんでも自由とはなるまい。
個人的な好みや主義に異を唱えるつもりはないし、本人がそうだと思っていることを変えようとは思わないが、大威張りで公言されると違和感を覚えることもある。
生物学的に考えるときの「種の保存」ということは、考慮の外に全く追いやってしまって良いとは思えない。
確かに、結婚しないことも子供を作らないことも自由かも知れないが、時に神の領域を侵しているのではないかと畏まってみることも必要なのではないだろうか?

どこかの校長が「女性は子供を二人以上産め」というようなことを言ったとかで、寄ってたかって責め立てているようであるが、いつどこでどんな言い方でいったかは別にして、子供のことをタブー視するような方向付けがされ、それを口にしてはならないとしてしまうのは、決して良いとは思えない。
最近、何か物をいうのに用心しなくてはならなくなったことが多いのではなかろうか。


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