2016年3月6日日曜日

年を取ってからが気の毒な旦那たち

結婚生活が長くなった奥方連の多くが、半ば公然と旦那のことが嫌いだと口にする。
それを、いろんな集まりの中で聞くことが多い。
あながち嘘や冗談ではなくて、普段は仲が良さそうに見える夫婦でも、内実は違うのではないかと思わせられて暗澹となる。

男にとっては心外であろう。
「男子門を出れば七人の敵あり」というが、外で仕事をするとなれば、そんな少ない数ではあるまい。
ならぬ堪忍もするし、理不尽な要求にも耐え忍んで努めてきたのは、偏に家族を守らんとする為であった筈。
口に出さずとも理解しあえて、心を許し、次なる戦いの場に打って出るための拠点であると信じていた所が、いつのまにやらそうではなくなっていたということなのだから。

仕事を口実に、家のことを任せきりにしていたという反省はあっても、許容範囲だと思っていたことが、実はそうではなくて、行き違いが積み重なったということなのかも知れないと思い、今度は家でも隠忍の日々を過ごすようになる。
ある日突然のように至らなかったことを責め立てられても、家のことは全く分からない。
女は我慢強いというが、男の我慢強さは日頃から鍛えられてその比ではあるまい。
我慢を我慢とも思わなくなってしまっているのが悲しい結果だから、それがずっと続くということなのではなかろうか。

いろんな話を聞いてみると大概がそんなところであり、お互いの苦労を「そういうことだったのか」と理解し納得するには、感情がもつれすぎてしまっていて難しいように思える。
「優しさ」というのは、自分がそれを先に出さないでいると、いつのまにか失われてしまうものらしく、修復は難しい。
男だから庇いだてするというわけではないが、踏ん張って頑張っていた姿を見ているから、家での扱われを見聞きして、気の毒に思うことが多いことも事実です。
感情というのは、理屈では納得させられない。

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