2016年3月13日日曜日

国を愛することが右翼だとは思わない

一口に言われていることが多くて、使われ方が本質をついた表現とはとても思えないのが、右翼と左翼という言葉です。
そもそもが、フランス革命後の議会での議席が、革新派は左側に保守派が右側に並べられたのが始まりだといわれます。
いずれにしても愛国心から出ているように思う。
日本では、国を愛するというと、どういうわけか右翼だと言われかねないが、国を愛せないということは問題なのではないだろうか?

普段、イメージとして感じていることなので、そんなことを言うのは怪しからんと怒る人がいるかも知れないですが、左翼右翼どちらも、頭に「反日」という冠詞をつけた方がよさそうに思えてしまうことが多い。

日本で言う左翼というのは、ヘルメットを被りマスクで顔を隠して暴力的なデモをし、共産主義革命を目指すために、日本の国力を削ごうとしているように見えてしまう。

右翼と言うと、戦闘服に身を包み、こちらも暴力的な臭いをぷんぷん漂わせる怖い集団に見える。
彼らが、国旗・国歌を大事にし、靖国神社を遥拝し、天皇陛下を敬う姿を見せると、それらをすることが危険なことなのではないかと、一般国民が疑いを抱くようにするための行動に見えなくもない。

そんなことはあるまいが、左翼と右翼を同時に繰っている勢力が背後にあるのだとしたら、恐ろしいことである。


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