2016年3月7日月曜日

外国のドラマを見て解ることがあるから

時々ではあるが、韓国ドラマをTVで観ることがあります。
TV局は、そんなものを放映するな!とか、放映されても見るなというネット上の書き込みは相変わらず喧しいけれど、それはそれでいいとして、観ると参考になることも沢山あります。
時代考証は正しいとは思えませんが、ものの捉え方とか、思考回路とかが私とは違っていて、価値観を共有するのは難しそうに思えます。

相手の言い分をを聞いたり、事情を考えたりする前に、まず自分の固定観念ができ上がってしまい、激情にかられて後先が見えなくなってしまい、ただただ相手を責めまくるシーンが随所に出てきます。
冷静になればわかりそうなのにと思ってしまうのですが、後になって解っても、拗れたものはどうにもならない。そんなとき決まって言う言葉は「一度だけ許して下さい」か「水に流して下さい」であり、かなり虫のいい感がすることを否めない。
彼の国では、自分たちが礼儀正しいと自賛しているが、それは親や上席者に対してだけであって、同僚や目下に対しては殆どないというのもわかる。儒教の取り違えなのだろうか?

それでも、英国の没落貴族のドラマを観る時の違和感というか嫌悪感よりはマシに思える。
こちらは、会話としては冷静なのに、なぜか心根の冷たさを感じてしまう。
(あくまで、数少ない例からの個人的感想です。)

伝わり方・発展の仕方に違いはあっても、儒教的考え方に共通点があるからなのだろうか。
自分に都合の良い解釈が正義だと思うと、事実認識を誤るのだということがよく解るから、何事も避けずに自分で経験して考えることが良いという勉強になる。(七十の手習い)


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