2018年2月14日水曜日

北朝鮮重視のオリンピック開催国

平昌オリンピックを見ていると、平和の祭典というよりも政治色の方をより強く感じてしまう。
外から見ているから判ることなのかも知れないが、実に危うい。

文大統領は親北を公約に掲げて韓国民の信任を得たのだから、その意味では北に隷属したような動きをしても解らなくはないが、現実的に韓国をどうしようというのだろうか。
国民も、国に何を望んでいるのかさっぱりわからない。感情的すぎる。
肌感覚で国の行く末に危機感を覚えた韓国民が、安倍首相を会場で歓迎したのかも知れない。

韓国は建国以来、国の中核をどこに据えるかということを考えなかったからのように感じられてならない。頭初は反共自由主義と反日で国をまとめようとしたのだろうけれど、継続的に政権の正統性を打ち立てるには弱かった。目指すものより後ろ向きのことの方が多かった。
むしろ北朝鮮には、金王朝という強力な核があるから強い。守るものを持っている。

それに引き換え、米兵4万人もの血によって守られ成り立った国なのだということも、現代韓国の発展の基礎が日本統治時代に培われたものであるとの認識も持てず、感謝どころか反米反日で凝り固まるような教育を徹底しすぎて、国民が合理的判断ができなくなってしまった結果なのだと思う。
南が主導して北を統一する心算でいるようだが、それは土台無理な妄想であろう。
反米・反日をつづけていれば、北には北朝鮮、西には中国という強力な共産主義国があるから、いずれは共産化されてしまうのではないだろうか。
自由主義を守ろうとするなら、取ってはならない政策を続けすぎた。
経済が発展している間はよかったが、輸出に頼る経済は、安値製品であるからこそ戦えた。
それにも陰りが出てきた。
安値競争をしようとしたら、この先中国とは対抗できまい。そうかといって、付加価値のある製品を作ろうとしても、基礎研究や素材産業は育っていない。内需もそうである。
頼みの綱の財閥も目の敵にして解体しようとしているのでは、先が見えてこない。

戦争というものがどんなものなのかということも、自分たちが名目を掲げ、存亡を賭けて戦ったことが無いから理解できていない。
戦闘には負けても戦争目的は達することができて、結果的勝利と言える。
大東亜戦争における日本もそうであろうし、ベトナム戦争におけるアメリカもそうである。
アメリカがもし戦っていなかったら、アソアン諸国の大半は共産主義国になっていただろう。
その意味では、アメリカは目的を果たした。

日本においても一部メディアやジャーナリスト或いは学者などが必死になって左翼的なことを叫ぶが、大半の日本人はそれにひきずられることはない。
それらの体制を敷く国々が現実的にどんな有様なのかということは、合理的に判断できる知性を備えているからである。

ものごとは相対的に捉えて平和的に発展できるように考えないと、感情的なことに左右されがちになってしまう。

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