2018年2月17日土曜日

誰もが成功できるわけではないが

人は誰も大抵は、その心の中に成功を願っている。
しかし何をもって成功とするか?
富や財産であったり、権力であったり、芸事や武術の卓越した練度であったり、学問上の成果であったり、商売の繁盛であったりと様々であるが、それによって何を為そうとするのであろうか。
切磋琢磨して競い合い、互いが向上しようとするのは解るが、他と較べて優位にあるとして満足するのでは、目指す先が違うように思う。
人は誰もが同じわけではないし、較べてどうこうを言えない得手不得手の持ち分というのがある。
頭脳明晰な人も、体力が衆に優れている人も、それとは逆に五体すら不自由な人もいる。努力できる人もいれば、それができない人もいて何の不思議もない。
確かに一番にならなければならないという分野はあるだろうが、そのことによってそれが達成された後に何をしようとするのかがないと、何かが足りない。
何をなすべきかに気づく人も居れば、そんなことにお構いなしの人も居る。
その差は一体どこから生まれ、それが何を意味しているのかを意識する人は少ない。
しかし、どんな人であったとしても、その域に届いていると、何かの折に人としての優しさを自然に表すことができる。
それなくして人類が生き続けることはできまい。全ての先達ではなく一握りの人であっても、それが発現されることをもって、全体が成り立っているのかも知れない。


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