2019年3月25日月曜日

改善してしまう能力


日本人は他を恨んでそこから抜け出せないでいることより、心を励まして未来のことを大事にして進む。
新たな文化に接すると、今までを否定してそれを取り入れることにエネルギーを集中する性格を持つ民族だからだという意見を述べる学者が居るが、それは違う。それは一面的な見方ではなかろうか。
例えば、米国により東京大空襲や沖縄への攻撃、広島や長崎への原爆投下により無辜の民が何十万人も死に、国土も焼け野原にされたのに、アメリカが進駐してその文化の下に占領政策が敷かれると、それらの恨みをどこかに押しやってしまって、日本人は今までを全否定してそれに従ってしまうのがそのいい例だというのである。
そうだろうか?
確かに走狗よろしく、日本のそれまでを恥じらいもなく否定して、そのお先棒を担いだ者もいたことは間違いない。
しかし、日本人の全てがそういう考えでいたというのは、余りに皮相的な見方ではないのか?
そうではあるまい。悲しみや苦しみを乗り越え昇華して、先を切り開こうとするのだと思う人が多いのだと感じる。
アメリカの良い所を学び、それをモデルとして取り入れようとしたのだと考えた方が、より日本人を理解できる。

遣隋使や遣唐使により齎された中国文化のときもそうであったし、明治維新の時に西洋文明を積極的に取り入れたときもそうであったが、日本を全否定して、新たな文明一辺倒になってしまったということは一度もないのではなかろうか。
良いものは良いものとして評価して取り入れ、従来の日本文化と巧みに融合させ昇華して、より優れたものにすることができたのが日本なのだと思う。
カブレルだけではなく、同化してしまう潜在能力に優れているのである。調和ということが、根底で無意識にであっても働くのである。

戦後間もなくのことを思い出す。
甚大な被害を与えた戦争の相手国を恨んだり泣き言を言ったりしているより、生き残った者たちで何とかしていく為に力を合わせたのであった。
日本は大昔から、地震や津波、台風や火山噴火による被害を度々経験してきた。
そこからの復興のためには、泣き言なぞ言っている暇はなかったという歴史がある。
いい悪いを言っても仕方がないことに囚われているより、まず動いたのである。
和の精神・個人より公を優先・お互い様ということで互いを尊敬しあう精神、そういうものが自然に培われていた民族だから、いかなる困難も乗り越えられた。
その能力が戦後の焼け野原からでも立ち上がる潜在力であったのだと信じている。

0 件のコメント:

コメントを投稿