2019年3月16日土曜日

NZで銃乱射があったというが


ニュージーランド南部クライストチャーチで、15日午後1時40分(日本時間同午前9時40分)ごろ、イスラム教の礼拝所(モスク)で、男が中にいた人たちに銃を乱射した。
地元警察によると、乱射は別のモスクでもあり、死者は計49人、負傷者は48人に上り、警察は容疑者3人を拘束した。という。
動機というのが、発表されている範囲では「侵入者らに我々の国が決して彼らのものにならないと示すために攻撃を実行する」ということであり、同容疑者が作ったとみられる文書には反移民主義、白人至上主義をうかがわせる文言がつづられているというが、随分歴史を無視した独りよがりの主張に聞こえる。自分たちが侵略者だったことを棚に上げていないか?

今は先進国になっているとはいえ、そもそもニュージーランドには、イギリス人が入ってくる前から、先住民としてマオリ族が住んでいた。彼らは約1000年前、ポリネシア諸島の「ハワイキ」という島から大型のカヌーに乗ってニュージーランドにやってきたと言われている。
この「ハワイキ」がどの島にあたるのかは判明していないが、マオリ族の人々は死後、その魂が、ニュージーランド北島北端の岬、ケープ・レインガから自分たちの故郷であるハワイキに旅立つと考えているのだという。
2013年の調査によると、ニュージーランドに暮らすマオリ族の人口は約60万人で、これはニュージーランドの人口の約15%を占めている。ただし、白人との混血が進んでいるため純粋なマオリ族はとても少ないと言われている。
マオリ族の歴史的な言語と伝統は、ニュージーランド文化の根幹をなしているといわれるが、176910月、初めてのヨーロッパ人のクック船長ことジェームズ・クックらが初めてニュージーランドにやってきて以降、多くのヨーロッパ人がニュージーランドにやって来た。マオリ族の人々とヨーロッパ人とのトラブルが続き、死者まで発生していたことは想像に難くない。しかしマオリとヨーロッパ人との交流も行われるようになっていったことも歴史であろう。 
1840年、イギリスとマオリ族の人々との間でワイタンギ条約が結ばれた。この条約により、ニュージーランドはイギリスの植民地になった。
しかし、この条約の内容はニュージーランドにとって不利な条件の不平等なものであり、そのためワイタンギ条約は今でも問題に挙がることが少なくないのだという。
それでも、オーストラリアにおけるアボリジニに比べたら、まだいいほうなのかも知れない。
「アボリジニ(Aborigine)」という言葉は不適切だとして、最近オーストラリアでは公の場では、「アボリジナル(Aboriginal)」という言葉が使われるようになってきているそうです。

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