2019年3月7日木曜日

日本のせいだって?


「鳥なき里の蝙蝠」という慣用語がある。
この意味を間違えて使う人は殆どいない。
つまらない者が幅をきかせて威張っていること、というくらいで使っても障りはない。

鳥がいない所では、空を飛べるということだけで、ネズミの仲間である蝙蝠が威張る。
優れた者がいない所では、つまらない者が幅を利かすということの喩えです。
しかし、自分より強い鳥が出てくると、今度は自分は獣の仲間であると威張る。
でも、獣の世界に行ったとしても、そこでは相手にもされない。
蝙蝠が気づかなくてはならないことは、そういう日ごろの行いが、鳥からも獣からも嫌われているということなのである。

類語としては、
「鷹(たか)のない国では雀(すずめ)が鷹をする」
「貂(てん)なき森の鼬(いたち)」
「貂(てん)なき山に兎(うさぎ)が誇る」
「鼬(いたち)ない間の鼠(ねずみ)」
などというのがある。

謙虚に学んでいる最中であれば、強い側につくことはありうる。その相手は教えてもくれるし協力もしてくれる。事大主義と軽んぜられることはあっても、笑って見過ごしてもらえる。
多少力がついてきて大口を叩くようになっても、それくらいなら許容範囲なのであろうが、何を勘違いしてか、お世話になった相手を越えたと自惚れて敵対行動までとるようになると、これは双方から手厳しく突き放されるようになる。
相手は虎であり鷹なのである。

蛙の子は蛙とまでは言わないが、一気に頂点を極めることはできないのだから、少なくとも自らの行動で敵国判定されるようなことはしないのが外交の常識である。
蝙蝠外交などをするようになると、世界からその足元を用心してみられるのである。

分大統領は外交の天才を僭称し、米朝首脳会談をお膳立てしたと自慢してやまなかったのだけれど、自分の思惑を優先してしまい、北朝鮮に誤った情報を伝えていたのではないかと言われている。親中・従北、反米・反日が見透かされる行動が多かったのではなかろうか。

会談が決裂したのは日本がロビー活動をしたからだと責任をなすりつけているようだが、例によって他人のせいにする癖は相変わらずのようである。
残念ながら、日本にそんな実力はあるまい。もしそんな実力があるのなら、日朝会談をしている。

0 件のコメント:

コメントを投稿