2019年3月3日日曜日

自分の思惑通りにはいかない


ほんの数年前までは、韓流ブームであった。今と比べると隔世の感がある。
深夜にTVを点けると、これでもかというくらい韓国ドラマのオンパレードであった。
従って、韓国の王朝ドラマはその殆どを見る結果となった。
煌びやかな衣装や調度を揃えたドラマ画面に、時代考証などという意識はないらしく、染料も買えない貧しい属国の状況下であったのに、そんなわけがあるまいと思いつつ見ていたわけである。

ドラマに共通していたのは、登場人物たちが民の暮らしなぞそっちのけで、権謀術策の限りを尽くしている筋立てでできた内容のものばかりであった。
李王朝のどの王の時代であっても、いわゆる悪人にことかかない。
何人かで徒党を組んで王をしのぐ政治権力を握り、国政を壟断するのだが、すぐに仲間同士だった筈の者たちが互いに足を引っ張り合い裏切ることを常とするから、必ず内部抗争が起こり、信頼関係なぞいつでも破綻するのが常態であるから、権力を握った者も良く解っていて、太く短い生き方をするのがどのドラマでも同じであった。

王を始めとしてリーダーたちは、困難があるとまず真っ先に逃げ出す。民のことを考えて行動するというのを見たことがない。
信義を重んじ、約束を守ることには命を懸けるという誇り高き考えを優先する日本人とはあまりにかけ離れた民族なのだということはよく判った。

こんな内容のものを得意げに東南アジア諸国にも輸出していると聞いて、他人事ながら心配しもした。民族性への信頼を失うようなことを世界に広めてどうするのだと思ったからである。

儒教の弊害と思われるものも随所でみた。
儒教というのは本来、理想とするものを掲げるのであるが、私利私欲にまみれた彼らにそれをできるわけがない。
どちらかと言えば自分の損得で世の中を動かそうとするからすぐ破綻する。
代わって権力を握った者は、本来はこうあるべきであったとする考えの下、歴史を捻じ曲げてでも自分に都合よくなるように、こうであったということにしてしまう。代替わりすれば必ずそういうふうに歴史を改竄する。
そうでなかったことを恨みにして残し、その恨みを晴らす為なら墓を暴いてでも死体に鞭打つくらいのことを平気でする。人間性が違うのだという事がドラマから学んだことである。
残念なことに、彼の国の人たちの精神構造の中に、それが脈々として現代に至るも続いているように思われる。このままでは1000年経っても変わるまい。

今回の米朝首脳会談もそうである。
余りにミエミエだったが、文大統領は北朝鮮の核兵器を残したかった。いつもの例であるが、こうあってほしいという願望が先行して、その思惑通りにできるものとして思い込むから、判断を誤る。
米国が核の温存など許容するわけがないのに、金正恩氏に何と言って焚き付けたかわからないが、結果として、米朝両国からの韓国への評価は、極端に下がった。
身の程を弁えず、両国の仲介役としての役割が増大したなどとノーテンキなことをいまだに言っているが、もはや相手にもされまい。

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