2019年8月26日月曜日

アヘン戦争だって大威張りでできた


明治維新前後の世界情勢というのを理解しないと解らないことがある。
どう考えたって不当で無法なアヘン戦争やアロー号事件にだって、それなりにこじつけた理由付けはあった。
勿論、彼らの勝手な理屈であるが、戦力を持たず法の支配が整っていなかった所謂日文明国では対抗できなかった。
即ち、無法が罷り通ってしまっていたのである。
それが当時の国際的関係であった。今の常識を持ち出して四の五の言っても始まらない。
西欧諸国以外で文明国と認められたのは日本であったことを思うと、鎖国政策を敷いていたとはいえ、徳川政権は決して無能ではなかった。文明の基礎を培っていたのである。

ウエストハリア条約は、1648年、ウェストファリア会議で成立した三十年戦争の講和条約である。
世界最初の近代的な国際条約とされる。
ウェストファリアは、ネーデルラントに接したドイツ西部の地方で、その中心の二つの都市、ミュンスター市とオスナブリュック市で講和会議が開かれた。会議は1642年に開催されることになったが、皇帝とカトリック諸侯の内輪もめや、フランスの参加が遅れたことなどのため、1644年にようやく始まった。
会議の場所が二カ所になったのは、フランス(ミュンスター市)とスウェーデン(オスナブリュック市)という戦勝国を分離させ、それと個別に交渉して有利に講和しようと言うドイツ諸侯の策謀があったからであった。
いずれにせよ、神聖ローマ皇帝、ドイツの66の諸侯、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダなどの代表が参加した世界で最初の大規模な国際会議であった。
会議は45年から実質的な討議に入り、延々と3年を要して、1648年にようやくウェストファリア条約が締結され、三十年戦争を終結させた。

条約の内容は、次の5点に要約することが出来る。
1.   アウスブルグの和議が再確認され、新教徒の信仰認められる。またカルヴァン派の信仰も認められた。
2.   ドイツの約300の諸侯は独立した領邦となる(それぞれが立法権、課税権、外交権を持つ主権国であると認められる)。 
3.   フランスは、ドイツからアルザス地方の大部分とその他の領土を獲得。
4.   スウェーデンは北ドイツのポンメルンその他の領土を獲得。
5.   オランダの独立の承認と、スイスの独立の承認

三十年戦争の悲惨な被害が拡大されるなかで発表されたグロティウスの「戦争と平和の法」は、戦争の悲惨さを緩和させるため国際法が必要であることを提唱した。
戦争後のウエストファリア講和条約の成立によって、中世ヨーロッパのローマ教皇や神聖ローマ帝国という上位権力が無くなったことによって、近代主権国家は国家間の関係を規律する国際法を生み出した。

しかし、18世紀後半のアメリカ独立戦争、フランス革命は絶対王政に対する新興階級である市民の勝利をもたらすと共に戦争観をかえ、あたらしい戦争規則が形成されることになる。戦争は陸戦の場合は傭兵ではなく国民軍が行い、海戦の場合は私掠船(海賊)でなく軍艦がおこなうべきこととされ、交戦規定や捕虜に対する非人道的な扱いなどで一定の抑制が加えられるべきであることが認められるようになる。 

極めて独善的なのは、文明国・未開国・野蛮国を勝手に決めて、未開地や野蛮国であれば何をしても許されるとしてしまったことである。
第二次世界大戦が終わるまで、植民地支配をされて苦しんだ国々が沢山できた。
植民地支配をした国が被支配国に賠償したという例は浅学にして知らないが、おそらく一つもあるまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿