2019年8月3日土曜日

供え物としての饅頭


中国由来の漢字には、首にからむものが多い。
道を歩くには、悪霊除けのために生首を提げて歩いたとか、首の下に寸を加えて導くとしたとか言われる。

子供の頃に、血沸き肉躍る思いで読んだものに三国志というのがあった。
蜀の軍師であった諸葛孔明は、そういう迷妄を払ったのだという説がある。
饅頭(まんとう)を作ったというのは、落語の饅頭恐いとは違って感動ものであった。

孔明が南方征伐に出陣し、反乱を起こした蛮族の王、孟獲を帰服させた帰途のことである。
孔明に心服した孟獲は、国境にあたる瀘水(ろすい:中国の地名)まで孔明を見送った。
孔明軍の先鋒が瀘水に差しかかると、にわかに黒雲濃霧が立ちこめ、川の水面から起こった狂風が砂礫を巻き上げ、兵士たちに吹き付けた。到底川を渡れたものではなく、孔明は孟獲を召して理由を尋ねた。
孟獲が言うに、これは、この川に住む猖神(荒れ狂う神)の仕業であり、鎮めるためには祭礼が必要である。そのためには、49個の人の生首および黒牛・白羊を生贄として捧げるのだと言う。
南方平定に際して、多くの敵を殺し、味方を失った孔明は、これ以上の犠牲を嫌った。
そこで小麦を練って皮を作り、牛と羊の肉餡をこれでくるみ、人頭に見立てたものを生贄と見立てて祭礼を行ったところ、川の狂乱はやみ、孔明軍は無事に帰還できた。
これが朝鮮軍だったらどうしただろう?
躊躇いもなく怪しげな呪術師を呼び、生首を揃えたであろうと、韓国ドラマを見ていると想像できてしまう。
もっとも、彼らが戦いに出て勝って凱旋することはなかったから、そんな話は残っていない。

日本の団子にもいろんな説がある。これもそもそもはお供え物であった。
団子を小豆の餡でくるむのは、小豆の赤は血を模したものなのだという。赤には霊力があるのだと信じられていた。

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