2019年8月27日火曜日

領土は放棄したが主権まで放棄してはいない


195198日、日本と太平洋戦争で争った連合国49ヶ国の間で講和条約が調印された。サンフランシスコ平和条約を締結したことにより戦争状態は終了し、終戦後に連合国軍によって占領されていた日本は独立国として国際社会に復帰することになった。
条約の締結に至った背景には、アメリカとソの冷戦があったといわれているのが歴史の現実である。
第二次世界大戦が終わると時を同じくして、東アジアでは共産主義が勢いを増し、中国・モンゴル・北朝鮮などの共産主義国家が相次いで誕生した。
1950年にはロシア・中国の支援により、朝鮮半島では南北に分かれての戦争が勃発した。
第二次世界大戦の終了間際、すでに帰趨は決していたのに、無駄にソ連を参戦させたことで、当初から予想された通り、ソ連との関係が悪化する状況のなかで、アメリカをはじめとする西側諸国は、共産主義への防波堤として日本が必要となった。
そんなことは、ソ連を参戦させるためにヤルタ会談で密約を結んだ時から予想できていたはずなのである。それがいざ源氏儒家したということで、講和条約を結び、日本を西側陣営に取り込もうと考えたのである。
これは、主権の回復を考える日本政府にとっても悪くない話であった。
一方のソ連側は何とかこれを阻止したいと考え、日本国内の共産党や社会党を使って「全面講和論」という反対キャンペーンを行った。
講和条約を結ぶのであれば、西側だけでなく東側諸国とも結ぶべきだというものであり、一理あるようにも聞こえるが、アメリカとソが対立している状況では実現する可能性の低い政略であった。
それらの反対を押し切って条約締結を推進し、日本の代表としてこれに調印したのが、当時の首相だった吉田茂である。西側諸国という片方の陣営とのみと講和したため、サンフランシスコ平和条約は「片面講和」とも呼ばれている。
ソ連は講和条約時に参加していないから、現代に至るもロシアとは平和条約は結ばれていないことになる。終戦後に違法に侵略占拠された北方4島の返還も、決着がついていない。
ソ連軍は、日露不可侵条約を一方的に破棄しただけに留まらず、終戦ということで武装解除していた日本領に8月15日以降も襲い掛かり、千島列島を不法に占拠したのである。樺太も含め、日本固有の領土上で日本が負けたことはない。占守島で日本軍が玉砕しながらもソ連軍を押しとどめたことで、北海道が占領されることを免れた。
ソ連だけが8月15日の終戦日を過ぎても9月4日まで侵攻を続けるという無法を侵していた。
ロシアと書きはしたが、関連していうなれば、国連の常任理事国としてのソ連は解るが、
ソ連が崩壊した後のロシアが常任理事国として横滑りしたことの根拠は何なのだろう?
ついでに言えば、中華民国が当初の常任理事国であった筈だが、中華人民共和国がそれに代わったのも変な話である。共産中国軍がいつ国連軍として戦ったというのであろう?
日本人の大多数は、サンフランシスコ条約の第2章 領域 を、理解できていない。
もはや他人事のようにして触れることも避けているからであろう。
改めて言うまでもないが、サンフランシスコ条約の第2章は、戦後の日本の領域を定めるための条項である。
日本は朝鮮の独立を承認し、済州島・巨文島および鬱陵島、台湾および澎湖諸島、千島列島並びに樺太の一部およびこれに近接する諸島、国際連盟の委任統治制度に基づき統治していた太平洋諸島、新南群島(現在の南沙諸島)および西沙群島などの領土を放棄することが定められている。放棄した中に竹島は入っていない。
このサンフランスコ条約の第2章の条項が、現代の領土問題の原因の一つとなっている。
北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題なども、この条項の文言を巡って解釈が分かれているのであるが、日本が放棄した領土の中に含まれるというロシア・韓国・中国の主張に対し、日本はこれらは含まれないと主張するのは当然である。領有権の放棄は、逐条的に明記されているのである。
ここのところを日本人は勘違いしてはならない。法というのは厳密に解釈されるのである。
新南群島(現在の南沙諸島)および西沙群島などの領土を放棄すると言ったが、そもそもそれらは大東亜戦争の前から日本固有の領土として国際的に認められていたのであって、戦争によって彼らが占領したことで得たのではないし、新南群島や西沙群島が中国の領有権下にあったことはないのであるから、中国に返還したということでは全くない。領有権は放棄したが主権を手放したということと同義ではない。
事実、それらの島々はどこの国のものともならなかった筈である。
中国が南沙諸島を自国のものだと主張するが、日本がその地の主権を中国に委譲したという条約がない以上、中国が南沙諸島に基地をつくる正当性は無いということになる。
領土は放棄したが、主権まで放棄したのでは絶対にない。
それは沖縄県、奄美群島、小笠原諸島などはアメリカの信託統治下に置かれることになりはしたが、主権を手放したのではなかったから、これらは返還されたのであることと同じなのである。
奄美群島が1953年、小笠原諸島が1968年、沖縄県は1972年のことであった。
竹島は、李承晩による不法占拠であることは、韓国が如何に妄言を吐き散らそうと覆しようのない事実である。
大人しくしていることで日本の自由と平和が守れるわけではないのは、中近東の様子をみていればよくわかる。対岸の火事視していて済む話ではない。
憲法を守っていれば平和で居られるという主張のみでは、日本を取り巻く国々を見るに、説得力が余りに希薄すぎないか?

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