2020年5月12日火曜日

接点を広げられないのだから仕方ない


「昔、まだ虎が煙草を吸っていたころ」というのが、朝鮮人の昔話の語り始め言葉なのだという。
彼らは、半万年の歴史があると自慢し、何にでも起源説を唱えるが、一つとして世界に誇れる文化にまで育て上げたものがない。
要するに時代ごとの歴史を論理的に認識できないから、過去のことは一括りにして、虎が煙草を吸っていた時代ということになる。いうなれば、一つ二つ、それ以上は沢山、というのと同じである。発展につなげる素地を鍛えられなかった。
強烈なリーダーがいないことには国民もまとまらないのが民族性であり、その結果、日本が統治して廃止をするまで、為政者たちが敷いた奴隷制度すら自力ではできなかった。国民の半数近くは奴婢の身分であり、売買の対象であったばかりでなく、その生殺与奪は支配層の勝手であったのが、隠しようもない歴史事実である。
自国の歴史的後進性を知ると、悔し紛れに日本のことを「土着倭寇」などと呼んで憂さ晴らしをするが、自分たちは人扱いすらされていなかった。
気の毒には思うが、日本が居なかったら今の韓国は存在していない。

ハン(恨)の文化というものについて、日本では漢字の意味通りウラミということで説明しているが、それは叶わぬ願いを果たすのに妄想の世界でしか思い描くことができないのをずっと抱き続けることを指すことばであって、「執着」と説明した方が日本人には理解しやすいのだという。
儒教の考えから、本来こうあるべきだった、というのが歴史だと思い込みたいがために、それが事実と異なっているのを「ハン」としたのだという説明をする人もいるが、要するに事実などどうでも良いのである。感情が優先するからである。だから支配層に居た者が権力を失墜し没落するのを見ると、殊の外喜ぶ。
自分が世に認められないのは全て誰か他の人が悪いのであって、自分は悪くない。それが理屈として通用する国というのは、反省などという概念は育たないし、恩を受けても仇で返すことも平気になる。
日本人がどうしても彼らを理解できない根本原因はそこにある。
過度な競争心ばかり募らせて、自分たちの足元さえ見ることができず日本を敵視しているのだと理解しないと、判断を間違う。ゼロからやり直そうとしたときの覚悟と気概が、今の差である。
民族的に相いれない思想で凝り固まっているのであるから、この先の接点はないに等しい。

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