2020年5月3日日曜日

足を引っ張る側には与したくない


新型コロナウイルスにどう対応するか?我々は「未知という事実」を我がこととして正しく認識しようとしているだろうか?
感染力が弱いと言われていたにも拘らず、これほどのスピードで蔓延するとは誰もが予想しなかった。軽症者が、あっという間に重症化し手の施しようもなく死に至る。
感染は当初、飛沫と接触だけによるといわれ、若者は感染しにくく、仮に感染しても発病することなく治ってしまう者もいると報道されたので、コロナウイルスを見縊る者が多数出たのではないだろうか?
最近はマイクロ飛沫による感染もあるのだとされ、マスク着用と三密を避けるよう要請されたが、これを守らない人もいる。それが原因で感染した不届き者であっても、医者や看護師は命がけで治療に当たらなければならない。入院までの間には家族や知人に伝染させている可能性が高い。
欧州も米国も対策は全て後手に回った。それは日本に限ったことではない。その結果、気づいたときには既に手遅れになっていた。未知のものに向かう時は広めに網をかぶせるに如かず、というのも後からなら言えることであって、万一を慮って対策を急げば、それこそ蜂の巣を突いたように反対反対と騒ぎ立てることになるのは、想像するまでもない。
感染者増大のさなかにあってすら、防御のための対策に反対行動をする者が多いのである。
日本はこの「早め、広め」が苦手だ。憲法上の制限もあるから強制力を持った手段は打ちにくいし、政府のやることには何でも反対する勢力があることもあって、「時宜を見極めつつ、対策は小出しに」というのが日本的パターンになる。
バブル崩壊後、欧米が速やかに不良債権処理を終えたのに比し、日本は徒らに長い年月をかけた。その結果、今に至るも後遺症に悩まされ続けている。湾岸危機の際も、日本の対応は「ツーリトル、ツーレイト」と非難された。民意の多様性に対応しようとすればそうなる。

中国にウイルスが蔓延した時、欧州は対岸の火事とした。日本はクルーズ船の感染者を海上で封じ込めたこともあって、国内での感染者を増やさずに済んでいたが、これとてもマスコミを筆頭に人権問題だとして非難の嵐であった。どうすれば良いのかを意見として出すのではなく、政局に結び付けるような動きを優先させるのがどうしても解せない。
欧州が危機に陥った時、米国は、これは欧州の問題だと思った。いずれも初動で遅れたことが致命的になって、感染者とそれによる死者を増やした。
危機が燃え広がらないうちは、政府の指示を深刻に受け止めない。今回初めのうち、仏伊の国民は外出禁止令に従おうとせず、政府はやむなく罰則を強化せざるを得なかった。

中国からの来訪者がウイルスを持ち込む機会は十分あったが、現在の日本における感染者は、中国型ではなく欧米型だと言われる。
だとしたら、感染の可能性が高い海外旅行は危険であるとの警鐘を鳴らすのはマスコミの役目であった筈だが、そんな報道はなかったのではなかろうか?自分のことは棚に上げて、政府の非難ばかりに走るのは如何なものかと思ってしまう。
外出自粛を要請したことで生活に困窮する人が出てくるのは当然で、そこに補助金を支給することは考えねばならないが、その原資は赤字国債に寄らねばならないことは考えなくても判る。
国債が増えることに反対していた連中が、真っ先に補助金の額が足りないからもっと出せといって叫ぶ。国民のためというより自分たちの都合のように映る。
国庫が空になろうが、赤字国債で国の財政がマイナスになろうが、人命優先を考えれば、その政策は支持するし、大赤字の国になったとしても決して文句は言うまいと思っている。
芸能界を敵に回したなどと、いったい何様かと思うようなことを、自分本位な立場から平気で言えるような人間にはなりたくないからである。
金で済むことなら、一所懸命働けば、いずれ返済はできる。戦後の焼け野原からの再出発と同じことだと覚悟すればなんとかなる。
対策に追われ、寝食を度外視して必死に取り組んでいてくれる方々の疲労困憊した姿を見ていれば、「遅い遅い」と文句をつけ続け、遅くなることを助長するような動きをする連中こそ、国賊なのではないかと感じてしまう。一致協力して乗り越えねばならない時なのである。

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