2020年5月23日土曜日

一方向からしか見ないように誘導されていないか


黒川検事長が辞表を提出し陳謝したということで、糾弾の嵐を浴びている。
違法者を取り締まる組織側の要職にあるにも拘わらず、賭博行為を繰り返していたことは、法に照らして裁かれることになったとしても異論はない。
外出自粛を要請されていた時期に三密になる状況下に居たことも加え、非難を浴びても仕方がないと思う。
しかし、余りにタイミングよく報道されたことに、何らかの底意を感じさせられる。
何となれば、既に判っていた事柄でありながら、検察庁法案改正の審議中に出てきたのではなく、それが先送りされることが決まってから出てきたからである。
週刊文春は「黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常習犯」との見出しで大々的に報じた。グラビアを含めて9ページにわたる記事は、麻雀を終えて51日未明にマンションを出る黒川氏らの写真付きで、「言い逃れができないスクープ」(自民幹部)だった。
前々から狙っていたのでなければ、こんなに膨大な記事は書けない。黒川氏はそれほど腋が甘い人物だったのか、それとも新聞記者がマージャン相手だから大丈夫だと多寡を括ってでも居たのだろうか?
他の3人のメンバーは黒川氏と親しい産経新聞記者2人と朝日新聞社員とされ、朝日新聞は「不適切な行為」と謝罪。産経新聞は「不適切な行為があれば、適切に対処する」とコメントしたが、自分たちに都合が悪いことは、報道しない自由を行使するようにみえる。政府のやることに反対を唱えるメディアの側が、普段何をやっているのかと疑いを持ってしまう。
少し考えてみるだけで、変だなと感じることがある。
賭けマージャンが問題として取り上げられているが、それは接待マージャンだと報道されている以上、黒川氏が負けて損をしていたとは考え難い。だとしたら、贈収賄事件としての色合いの方が強いのではないのか?
しかし、与野党もマスコミも賭博行為として扱い、黒川氏の辞任をもって事件がこれ以上大きくならないための筋書きを作って決着をはかろうとしているのだと考えたのだとも思える流れに誘導されているようにも見える。
野党は、任命責任を追及するというどうでもよい質問を繰り返すことで対面を保つ。
出来レースになっていると考えるのは穿ちすぎだろうか?
セットで審議されていた公務員の定年延長が、合わせて廃案の方向に向かったのは、良かったのかも知れない。民間の勤労者の処遇と較べれば、公務員だけが優遇されるようなことになるのは不公平感を増し、国民の共感を得られるとは思えないからである。
それでも、法案先送りで意気消沈していた野党およびマスコミが息を吹き返したように騒ぎを続けることで、他の重要法案の審議を遅らせるであろうことが目に見える。

またぞろ正義の味方を気取る芸能人や民間人が大騒ぎすることであろうことも鬱陶しい。
私は麻雀をやらないけれど、世に麻雀をやる人は多い。その全ての人が賭け麻雀をしているとまでは言わないが、その殆どが幾何かの金銭を賭けているのは常識である。
その職責にある者が侵してはならないことは確かにあろうが、自分のことは棚に上げて、生贄になりそうな者をよってたかって責め立てるのは、見聞きしているだけでも気分が悪い。
甚だしきは、さほど清廉潔白とは思えない人が、他人に対して「万死に値する」などと言い放つ。「死ね」というに等しいことを平気で口にできることの方がよっぽど恐ろしいのだとは感じないのだろうか?
そもそも「万死に値する」というのは、時分が自らのことを悔悟して、深い反省を表現する時の言葉である。

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