2020年5月18日月曜日

そろそろいろんなことに気づかないと


これからの戦争は武力により戦うのではなく、超限戦争と呼ばれるありとあらゆるものを使っての戦いになるのだという。
政治・経済・科学・文化・謀略・宣伝などにより、敵国深く浸透するから、気づいたときには手遅れ状態ということになる。
謀略と裏切り、諜報活動と破壊工作などなど、日本が苦手とするものばかりである。
スパイ防止法さえ制定することができず、国内の意見さえ壟断されるに任せているのでは、先行きが心配でならない。
尖閣諸島の領海侵犯に対してすら甘く見て放置していれば、実効支配していると言われかねないのを防ぐには、日本国内での世論の高まりが不可欠なのに、それに警鐘を鳴らすメディアさえない。隙を見せれば必ずそこを突かれるということに、もっと危機感を持ってもいいのではないか。
理想より損得勘定が価値判断の基準となるから、人倫などというのは軽んじられるようになる。

日本が私利私欲を離れ、高潔な理想をもって維新を成し遂げた志士たちの時代のようにはもう行かない。
清朝末期の中国は軍閥と馬賊・匪賊が抜去して争いあい、統一国とも呼べない内乱状態であった。
四書五経にしか重きを置かない国は近代化から大きく取り残され、西欧列強の植民地として分割統治される寸前であった。
植民地の悲惨さを知ったことにより、植民地支配されることを防いだ日本は、志のある中国人にとっては憧れであり、3万人を超える若者が留学してきたが、日本は惜しみなく知るところを教えた。その時に日本で学んだ日本語の熟語なしでは、現代中国の言語は成り立たないのだとさえ言われている。
中国の独立は、日本にとって安全保障上の重要課題であったから、近代化に最大限の協力をしようとしたのが、そもそもの中国との関わりの始めであった。
孫文は辛亥革命を成し遂げたがまだ力及ばず、袁世凱の謀略により組織を乗っ取られた。
稀代の謀略家である袁世凱は中国伝統の戦略である「夷をもって夷を制す」の策に従い、他国同士を争わせて漁夫の利を得ることに専念しようとたが、国の将来を思ってのことではなく、自己の利益のためであった。周りに集まった者たちも同様であった。

日支事変(日中戦争)の発端となったのは盧溝橋からだとされるが、北京から盧溝橋までの距離は南東130kmのところに位置しているくらい遠い。東京から宇都宮までの距離に匹敵する。
中国としては治安の維持が難しいとして、日本軍にその役目を要請したのであるが、日本軍がその長距離を、国旗を掲げて任地に赴くために進軍している際には、ただの一発さえ攻撃されていない。
軍であるから日本軍はその地で夜間訓練をするのが当然であるが、そこに銃弾が撃ち込まれ、それに応戦したことで戦争状態に発展した。どう考えても謀略の匂いが強い。
有色人種でありながら台頭してきた日本は、米英にとって目障りでならなかったから、日本が中国から撤退することを執拗に求めた。後は好き勝手にするという目論見が見え見えであった。
中国は、組む相手を間違えたのである。
結果として捏造教育を繰り返すしかなくなり、いつの間にか世界中から嫌われる道に入り込んでしまった。

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