2020年5月1日金曜日

もはや立ち返ることすら難しい


自国の歴史を一番知らないでいるのは、韓国民なのではなかろうか。
なぜなら、それを知るための根拠となる文字を捨ててしまったから、歴史を辿る資料すら読めないからである。

迎恩門は漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が中国の皇帝の使者を出迎えるための門であった。朝鮮は王であってすら、中国の皇帝が差し遣わす使者に対し、地面に這い蹲っての屈辱的な『三跪九叩頭の礼』を取らされるくらい、軽く扱われていた。 いわゆる隷属国そのものであった。
1606年に来た明の使臣朱之蕃が書いた門の扁額が国立古宮博物館にあるのだという。

近くに居ながら情勢を的確に判断する能力すらなく、明の政権に擦り寄っていたことで、清の時代になるともっと手酷く扱われたが、何をされても唯々諾々それに従わざるを得なかった。
独立を目指すほどの気概を示すことすらなく、日清戦争で日本が勝利したことによる1895年の下関条約が成ったことで、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱することができたが、李氏朝鮮が日本と一緒に戦ったわけではない。日本軍の血が流された結果得られた独立であるのだが、その日清戦争は、旭日旗のもとに戦われたのであるから、朝鮮人は大恩ある旭日旗に感謝こそすれ、戦犯旗などと口が裂けたって言えることではあるまい。
旭日旗は西南戦争時には既に使われていたのであり、ドイツのナチス旗とは全く違う。

日本のお陰で大韓帝国が成立し、独立協会は迎恩門を取り壊して、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。独立とは何百年にもわたる中国からの隷属から独立できたという意味である。
その後日本軍に入隊したい韓国の若者は多く、その倍率は50倍を超えていたという。
朝日新聞の写真でも判る通り、入隊を許された者は旭日旗のもとに訓練を重ね誇り高かった。朝鮮戦争の際には、逃げ回る韓国軍の中にあって踏みとどまり勇敢に戦ったのは、それら日本軍で訓練を受けた将兵たちだけだったというのが歴史事実である。
韓国軍が日本軍と戦ったなどということは一度たりともないし、ましてや日本軍に勝ったなどという歴史はない。
戦後の捏造教育によって、独立門は日本と戦って独立を勝ち取った記念として建てられたのだと嘘の教育を徹底したが、文字を捨て漢字が読めなくなった悲しさ、礎石に刻まれた文字を読めさえすれば即座に嘘だと判る筈。
もっと遡って歴史を勉強すれば、旭日旗のおかげで独立できたのだということも判るのに。

歴史を知ったら、戦後70年も日本を敵視し続けることなぞできなかった筈だし、一貫して経済的にも技術的にも援助し続けてくれたのは、日本だけだったとわかるだろうに・・・
ウォンの下落はとまらないし、日本が手を引いた後の韓国経済が持ち直せる材料はあるまい。

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