いろんな意見が氾濫して、その判断に迷うときは、反対意見を述べたり批判を繰り返したりしている者たちが、どのような勢力に属しているかを見れば、おおよその見当がつく。
普段の言動がどうであるかを考察すれば、見せかけの綺麗ごとを並べ立てたところで、それが国民のためというよりは、違う目論見があることが垣間見えてくるからである。
政治が上手く回ると、彼らにとっては都合が悪いから躍起となるのであろうが、彼らは国体を変えたいのが目的だということが透けて見える。
判断に困ったときは、そういう観点でおおまかにとらえてみると、大きく間違うことはない。
民心というのは侮れない。如何に煽動しようとしても自然に本筋を感じ取って、天意に従って動く。だから、日本の歴史には継続性がある。
この天意に従ってというのは、易姓革命とは全く違う。
隣国では徳を失った王は民衆によって倒され、新たに徳の高い王によってとって変わられるということにしているが、何代か続いた王朝が腐敗し国民が疲弊しているのを狙って前の王朝を倒したのは、隣接していた異民族であった。前王朝の血族は皆殺しにし、当然のことながら歴史は自分たちに都合がよいように書き換える。それを繰り返してきたのが中国であるが、それでも前の時代に出来上がった文化を少なからず残したことは評価できる。
韓国は、高麗王朝の一将軍であった李成桂が主君を裏切り謀反によって朝鮮王朝を作ったのであるから、王権の正統性を主張するのにどのような歴史改竄をしたのかは想像に難くない。
王権の簒奪に貢献した部下を両班として厚遇しなければならなかったから、その歴代の王たちは両班の影響を無視できず、いずれも彼らの顔色を窺わざるをえない弱い立場であった。
両班たちから税の徴収はできず、国の近代化などできるはずもなかった。
近代化できたのは、日本のお陰である。
日本が敗戦したことで棚ぼた式に再度独立できたが、独立の宣言ができたのは、1948年8月15日であるのは紛れもない事実である。第二次大戦が終わった1945年8月15日ではないことの一事をもってしても、独立戦争を戦って得た正当な政権ではないことが明らかである。
韓国では、1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動をもって建国日と偽称したいようだが、独立運動とは名ばかりで、彼らは日本に抵抗したのではなく、暴徒化して暴れまくったのは自国民に対してであったのが歴史事実である。
鎮圧されてからの発展は目覚ましく、近代化による豊かさの享受時期を覚えている国民の口を塞ぐために、李承晩は捏造反日教育を徹底するしかなかった。
天意に背いた出発点から始まったから、どこまで行っても安定しない国となった。
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