休み無くせっせとフェンネルの葉を食べ続けた黄揚羽蝶の幼虫は、ようやく蛹になる段階を迎えました。
数多くいた中で、小鳥に啄まれることを逃れなんとか生き延びた10匹は、外敵に見つからない場所に移動してサナギになってくれたと信じるが、サナギの状態を確認できたのは、そのうちの僅か2匹でした。
サナギになりたての身動きができないところに、蟻がどこからともなく集まってきて群がるので、このままでは蝶々になる前に食べられてしまいそう。
それも自然の掟なのかも知れないが、見過ごすには忍びないので、時々見回ってハケで蟻を振り払ってやっていました。
なんとかサナギの殻も硬く固まったらしく、蟻も寄ってこなくなりました。
この先は羽化するまで、の先ず食わずで長い時間を過すことになります。
運の有る無しは、何か偉大なものに守られているかどうかによる。
(何かに守られていると実感できることが大事なこととなります)
世の中には、ツキのある人というのが確かにいます。
それはどこからのハタラキなのでしょう。
気づいた人が次のステージに進むことができ、そこでの気づきが必ず又あって、更に次のステージに進むことができるようなのです。
やると良いとわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、なにも変わらない。
生命のあるものは、必ず成長しようと働くのに、それにブレーキをかけるのは何時も自分自身の自我です。
無限のパワーを持つといわれる潜在意識に叶えたい望みを届けることを阻むのも、自我という顕在意識がつける「やらない理由づけ」であるといわれます。
できるのにやらない、ということが如何に多いことか。
繋がるはずのパイプを閉ざしてしまっているのが実は自分であったと気づくことは、難しいことではない。素直にやるかどうかだけなのです
0 件のコメント:
コメントを投稿