2013年6月13日木曜日

自分の身に置き換えてみると


 どんな人でも、汚れたら顔は洗うし風呂にも入って、身体を綺麗にします。
女性であればその上に、化粧をしたり身支度を整えたり、身綺麗に飾ったりして周りの人に接します。
 それは礼儀でもあるし、汚れたままでいれば、人が寄り付かないばかりか避けて通られるようになり、運だって逃げてしまうでしょう。
 しかし、自分の上っ面だけ綺麗にすれば事足りるといえるかというと、それがそうはいきません。磨かねばならぬものがいっぱいあります。
 知っていても、或いは気づいていても、それを綺麗にすることをしないで、ただ運が悪いだのツイテいないだの言っているのではどうにもなりません。

そんなことでは、望むものを得られないことは当然です。

望むものがあれば、それを叶えるために必要だと思うことを、些細なことまで注意をはらいます。
 本当は、自分ではどこを磨かねばならないか、何をしなくてはならないか、ちゃんと分かっているのに知らない振りをしているということでは、望む結果は得られないのが普通です。
 何か決意してそれを始めようとするとき、まずお掃除から手を着けるということが多いと思います。

部屋であったり、トイレであったり、心であったりでしょうが、ご先祖様の眠る墓石のことを考えたことはあるでしょうか?
 野ざらしで汚れるのにまかせていていいはずがないと思うのです。
 時間をかけて静かに墓石のクリーニングをしていると、ご先祖様がそっとどうすればいいのか気づかせてくれるのだと、自分でクリーニングをした人たちは皆が言います。すごく穏やかな気持ちになれるのだと・・・

綺麗にするということの功徳でありましょう。

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