2013年6月12日水曜日

たった一つのことをつきつめて悟りに至る


 企業のトップや有名人、はてまた有名芸能人が、自ら進んでおトイレの清掃をやっているという記事を、そこここでよく目にします。
 それも、トイレのお掃除をやるようになってから運があがったという内容になっていることが多いようです。
 昔は、会社に就職するとまず一番最初にしなければならないのがお掃除でした。「掃除もろくにできなくて、まともな仕事ができるわけがない。」と、言われたものです。特にトイレは、舐めてもいいくらい綺麗にするように言われました。
 いまは、お掃除のきわめつけは、墓石クリーニングだという人もいます。
 
 二千五百年ほど昔、お釈迦様の弟子にシュリハンドク(周梨槃特)という人がいました。物覚えが悪くて、朝聞いたことを夕方には忘れているというどころか、自分の名前すら覚えられないというひどさで、背中に自分の名前を書いてもらって、人から名前を聞かれるとそれを見せるというほどでした。
 人からいつも馬鹿にされる自分が情けなく、たまらなくなってお釈迦様に相談しました。
お釈迦様は「何も心配しなくていいよ。」と言って、1本の箒を彼に渡し、「一所懸命、ただお掃除だけを続けなさい。」と教えたのだそうです。
 シュリハンドクは、それから何年にもわたり、来る日もくる日もただひたすらお掃除だけを繰り返しました。
 ある日のこと、いつものようにお掃除をしていると、「随分綺麗になったね。」とお釈迦様が声をかけました。

そして「でも、まだ綺麗になっていないところが残ってるよ。」と仰ったのだそうです。
シュリハンドクは、「一体どこのことなのだろう?」と思いながら、更に掃除を数年続けたある日、はたと気がついたのだそうです。

「そうか、汚れていたのは自分の心だったのか。」
悟りの瞬間です。

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