「有難うございました。」「お世話になりました。」
なんて響きのよい言葉でしょう。
なにかをやってもらうのが当たり前になってしまっていて、やってもらったことの裏にどんな思いやりと手間隙がかかっているかに配慮が行き届かず、無神経で平気でいる風潮がいかに多くなってしまっていることか。
美人は3日見れば飽きる。顔の不自由な人は3日見れば慣れる。な~んていいますが、心の不自由な人は、一瞬で呆れられるんじゃないでしょうか。
車椅子に乗っている人が、段差のある道で立ち往生しておりました。
道行く人に声をかけて、丁寧に助力をお願いするでもなく、気がついて押すのが当然ではないか、気が付かないでいる方が悪い、という構えでいるように見受けられました。
いつもそこを通る人達は、多分1度や2度は押してあげた経験があるのだと思いますが、誰も手を貸そうとする気配がありませんでした。
別にお礼を言って貰いたくて手助けしたのではなくても、後味のわるい思いをさせられたことがあるのではと思えて仕方ありませんでした。
かくいう私もその一人です。礼の一言もいわずに行ってしまうくらいならまだしも、「もっと手際よく押せよ」と言わんばかりの一瞥を置いて黙ったまま行ってしまう人がいるのは、残念ながら事実です。全ての人がそうであるとは申しませんが・・・
それでも、次に同じく困っている人を見かければ、手を貸すだろうとは思います。
世の中に、当たり前のことなんてそうはないのに・・・
お互いにちょっとした言葉をかけあうだけでも、和やかになれるのにと思うのです。
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