先人の生活の智恵ともいうべきことがらを、科学的な説明がないからといって迷信ときめつけてしまってよいのかどうか。
例えば、庭や屋敷内に植えてはならないとされる木があります。
敢えて名前はあげませんが・・・
それらの木は湿気を呼ぶものであったり、大量の落ち葉が屋根に積もってしまったりする種類のものであったりします。
湿気は家人の病気を呼ぶ原因となるだろうし、落ち葉は屋根を傷める元となる。
これこれの理由があるからだとの前置きをすればよいものを、昔の人はそんな説明をしない。
四神相応の地というのがあります。神社仏閣や城などは、建てるときそういう場所を選んだ。
北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎というのだが、「そんなことをいったって。」と、なんのことだかわからないから拒否反応をおこすのが最近の若者です。
北が小高い丘や山で、南が開けた平や湖ということになれば、日当たりが良くて水はけも良いにきまっている。西に広いみちがあって東に川があれば、住むためにこんなよいところはない。
だからそういうところに建てた昔の建物は、今も尚しっかり残っているということになる。
水浸しになって酷い目に会うようなところは、最初から避けたということになります。
それとは別にも、何だかわからないけれど人智を超えて働く偉大な力があることを、誰もが感じているに違いないのだが、気づかないふりをしたり無視していたりするが、説明ができないものは「無い物」だとしまってよいのだろうか?
畏まって謙虚になることができるのも人間の美徳のひとつであると思うのです。
あるかもしれないと、可能性を認める方が、幅が広くってよい。
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