2013年12月17日火曜日

口が巧いのを弁巧(べんこう)と言った


 そろそろ初詣で賑わう、霊験あらたかな天狗さまが居る神社も多い。

 天狗といえば、神変大菩薩=役の行者=役の小角を連想してしまうのは、高尾山で見るからかも知れません。空を翔ぶばかりでなく予知能力もあったのだとか。

 

 友人リンクの川柳のなかに

 「予知不能 サイ(角はないらしい)の怒りの 時期と規模」というのがありました。

 

 皆様くれぐれも、サイ難に会わないようにお気をつけ下され。

 AAなんぞは、最初から勝負にならないと痔核痛しおっと自覚致しておりますので、こうして未だに無事生きながらえているのであります。

 叶わぬ高望みをしちゃあなんねえですぜ。無事これ名馬(午年に因み)ということです。

 

 サイに角 無いはずもなし 口オマケ (AA

 オマケの方が多かったりするから、おそろしゅうございます。

 

 そうそう、「勘考する」っていうのは仰る通り、信州では熟考するというよりは「工夫する」というくらいの意味で良くつかいました。

他には「あそこのムスメは、なかなか"ベンコウ"でおありるに。」っていうのもありました。

漢字で書くと「弁巧」または「弁口」。口先がうまいということから発展して、オシャマとか小生意気くらいまでの意味で使われたように思います。

便硬ではありません。

 

 

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