2014年5月16日金曜日

誰にも良いエネルギーというのはないものなのだろうか


理想的な綺麗ごとばかり言っても現実的ではないことが多いから、どうすることが一番いいのか選択するのに難渋する。他人事ではなく感情論でもなく、自分で考えてみなくてはならない。

 

例えば原発問題もそうです。

生命に重大な影響をもつ放射能を除去或いは処理する方法がないのだから、無いにこしたことはいうまでもありません。建て前を言えば、誰だって反対です。

最終処理までのコストを考えるだけでも、現状ではそうなるでしょう。

にもかかわらず、それに頼らざるを得ないということも、なかなか原発を廃止して他のエネルギーに変って行かないのも、公にはできなくてもいろいろ理由があることは確かです。

 

誰もが電力エネルギー不足になっても我慢するというわけでもなさそうだし、それがどんな生活になるのかを想像しもしないし、いざ不足した時の覚悟というのも、自分とは別問題だと思っているみたいです。

それで生活している人や地域についてどのように救済するのか抜きにしては、今まで有り余る恩恵に浴してきた身にとって無責任に過ぎるようにも思います。

 

誰も触れませんが、核安全保障上の問題も無視できない。現に核保有国がどのようなものかを冷静に見れば、簡単にはいかない。

平和憲法に書いてあるから、他国から犯されることはないので大丈夫だ、と頑迷に言い張る人もいるけれど、刑法に書いてあっても殺人や窃盗はなくならないのはご高承の通りです。

彼らは「もし侵略されたとしたら無抵抗で、言うがままになっていれば良いのだ。」というけれど、そんなことを言う人たちの普段の言動・自己権利主張の強さを見れば、真意がどこにあるのか疑わしい。

 

様々なロスアンドプロフィットを全部並べて、どれをどの位にして折り合いをつけるのが良いのかに知恵を絞らなくてはならないのだと思います。

 

全ての人に良い物というのは現実生活の中には無いから、どのくらいの犠牲なら許容されるのかということにも、誰にとっても可能な限り平等に、ということで思いを致さねばならない。

他人事ではないのです。

 

それにしても、以前にも書いたと思いますが、無尽蔵にあるマグネシウムを利用する方法というのが一向に対象として挙がってこないのですが、問題があるのでしょうか?

 

「マグネシウム・エネルギー社会の到来」という、東京工業大学大学院の「矢部 隆教授」の提唱が、本田財団レポートがあるのを以前読んだことがあります。

 

他にも有望な方法はありそうですが・・・

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