2015年1月16日金曜日

恩讐のかなたにあるもの


何か事を為すのに、恨みのエネルギーというのは大きいのは事実です。

しかしながら、恨みというのは破壊には大きく作用しても、その後の創造に力が働くとは思えない。

 

中学生の頃、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」というのを読みました。恨みを超えた先にある感動と清々しさがあったことを記憶しています。

 

内政の不満を逸らすために外に敵を作り、恨みの念を掻き立てて、そのエネルギーを使うというのは常套手段です。

しかし、いかに大仰に喧伝教育しようと、いずれは事実が知れ渡るときがきます。

例えば、諺文といって蔑み捨て去られていた文字を復活させ、学校を沢山建てて識字率を上げる教育をした結果がどうであったか。

偏狭な身分制度を廃止し、インフラを整備した結果がどうであったのか。

衛生状態が良くなり農業生産力があがる方策を敷いた結果、寿命が延び人口が増加したのは?

 

知れ渡ったそのとき、騙されていたと知った人たちの反撃がどのようなものになるか。

程度を超えたものには、大きなリスクを伴うものなのだと思うのです。

 

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