2015年1月20日火曜日

グローバルスタンダードって誰の為のもの?


起きて半畳 寝て一畳といいます。住むのに必要な面積はそんなものかも知れません。

一日玄米三合と、麦と少しの野菜を食べ・・・と言うほどに慎ましやかな生活をしろとは言いませんが、飽くなく貪る心というのは、幸せかどうかわかりません。

足るを知ることを知った方が、豊かな気持ちになれるのかもしれません。

 

世に言うグローバリゼーションというのは、使いきれない量の富を集めてなお、もっと自分の所に、という欲そのものに思えるのです。

 

国によって、自然環境や信じる神様が違い、周りとの付き合い方が違っていて当然ですし、長い歴史の中で培われてきた大切なものも沢山ある筈。

 

それを同一ルールで、人・物・金・サービスを競い合わせるのが人間として公平だとは思えない。

ハンデなしで戦わせれば、力の強い者が勝つに決まっている。

自分が何の努力もせず怠けているのでなかったとしたら、人類の誰もが幸せになれるルール作りというのは、どうやったら擦り合わせがきき納得できるのだろうか?

違いを認め合うということは、どうしたらできるのだろうか?

 

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