2015年1月25日日曜日

話題になった神と仏


初詣の帰り、神と仏はどう違う?ということが話題になりました。

 

大いなる意思とは、一体なんなのでしょうか。どのように現れるのでしょうか?

 

神と崇められるのは、日本やギリシャのように、いわゆる八百万の神々というように多神もあれば、キリスト教やイシラム教のように一神教というのもあるから、一概には比べられないが、一神教の神は、絶対伸であり、創造者という面が強調される。

この世の全ては、神が作ったものであり、人間に自由意志などはなくて、神の言う事には逆らえないということになる。

もっとも、誰が口にしたかということには疑義が生じる。天動説の時代に地球が回っていると唱えるなどは仮令それが事実であっても命がけであった。


八百万の神々などには、この世の創造者という面も一部あるが、どちらかと言えば人知を超えた力を持っっていることの方が強調される。

人を寄せ付けない険しい山や、何百年も生きた古木がご神木とされるのも、共通認識として極めて自然に受け入れられる。

このような神々は、敬い感謝することで持てる力を貸し与え、人間を幸福にすると信じられてきた。
一方、仏は、この世には気づけないでいるが確たる法則があり、それを自覚できた(いわゆる悟りを得た)人がこの世の四苦八苦はその法則から生じるのだから、それを実感できればそれらを超越し成仏できるとする。死ねば仏というわけではない。

全宇宙が自らの内にすべてあるのだと、思索と修行の中で悟るということである。

一つのものが別れて、それぞれがその持ち分として役割を果たすということであるなら、万物は等しく救済されねばならない。
法則にはずれれば、それは破壊に向かわざるを得ないということでもある。

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