2016年9月24日土曜日

高齢者が大事にされないということは

100歳以上の高齢者が全国に6万1568人いることが厚生労働省の調査で分かっ た。前年から2748人増え初めて6万人を超えたのだという。
敬老の日には銀杯がわたされたのだというが、銀杯を貰って喜んだ人が多かったのだとは思えない。
それに代わるものというのはないのだろうか?
そうは言っても、銀杯をなくしたら、それはそれで銀杯業者が困るであろうが・・・

誰が何と言おうが、現在高齢者と呼ばれている人たちが寝食を忘れて働いてくれたお陰があって、今の日本があることは疑いようもない。
それなのに、今のお年寄りたちの遇され方というのはどうなのだろうか?尊敬されることも大事にされることも滅多になくて、場合によれば邪魔者扱いされているように感じることも多い。
若い人は若い人なりにたいへんなのだとしても、こんな世の中のままで良いのだろうか?

先祖や年寄や親、ひいては他人を大切にしない人が、人から大切にされないのは自明の理。
そういうことを教えなかった先生も、ないがしろにされるようになった。
「我が師の恩」と自信をもって教えられなかったツケかも知れぬ。
いったいいつからこんな世の中に変わってきてしまったのだろう?
権利ばかりを主張し、汗もかかずに手っ取り早く金を稼ぐことを追い求め、さしたる努力もしないで簡単に諦め、社会のせいにして不満だけを抱えて底辺に蹲る。

食うや食わずの時代には、泣き言をいう前に必死になって働いた。のし上がろうと、自分の居場所と決めた場所で懸命に努力した。
そういう人たちが成功を収めたのではないだろうか?
気が付いたら、ないがしろにされる場所に立っていた。
あれをしてくれなかった、これをしてくれなかったと責められるばかりではやりきれまい。
どこでボタンを掛け違えたのだろう?
精一杯頑張ってきたのである。

世の中、豊かになってくると自分が努力することを忘れる。努力をしたことのない人が、努力した人のことを理解できるわけがない。
「家貧しくして孝子出ず」という格言は、ある意味で本当なのかも知れない。
他人と比べる前に自分なのだ、ということに立ち返らないと、先が開けてこないように思うのだが・・・

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