2016年9月29日木曜日

反日は恐れの裏返しなのか?

日本には、聖徳太子の昔から「和をもって尊しとなす」が定着している
「和」の本当の意味は、自己に正直に生きるということであり、自分を裏切らないということです。
不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。言いたいことも言わないというではない。その中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」である
和の禾偏は穀物の意。旁の口は、同じ釜の飯を食うということであるから、仲良くするということになる。

広く会議を起こし、万機公論に決すべし。
明治天皇が天地神明に誓約する形式で慶応4314日(186846日)に 出した五箇条の御誓文である。
突然そんなことを言ったところで浸透するはずはないが、下地というのは古くからあった。
一揆という言葉があるが、揆とは気持ちのこと。
受益者が集まって徹底的に議論を尽くし、全員の気持ちが揃ったときに起こした行動だったらしい。暴力的な側面ばかりを習ったが、かなり整然としたものだったらしい。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
福沢諭吉の書いた「学問ノスシメ」は余りにも有名である。購読数は300万部であったというから、当時の日本の人口が3000万人であったというから、10人に一人が読んだことになる。
当事の日本の識字率は70パーセント以上であったと言われ、いわゆる先進国と比べても圧倒的に優っていた。隣国などは数パーセントしか文字が読めなかった時代のことである。

それにも増して、森羅万象の悉くに神性を見出して敬うという世界に類例を見ない美徳が根底に流れていた。
公のためであれば一身を顧みないという他国にはない精神構造も培われていた。

東洋において唯一植民地支配をされなかったばかりでなく、理屈もあげて西欧列強と戦った日本は、小面憎くはあっても精強だったから、さぞ恐ろしい存在であったろう。
そういう意味で中国や韓国に反日が起こるのは解らなくはないし、戦った相手国である米国にも用心したい気持ちがあって不思議はない。
7年に及ぶ占領政策下で、自虐史観が行きわたってしまったとはいえ、施政権が返還された後は日本人自らの責任である。
反日的日本人というのは、意識しているかしていないかは別にして、その意を受けているように思えなくもない。
戦前を全否定することで意識を保とうとしても、無理がありすぎるのではないだろうか。
若者たちが普段目にしている日本人の性質が、何年かで急に変わる筈もないのに、過去に悪の限りを尽くしたのだと教わったことに疑問をもつようになり、調べてみたら事実は大分違うのではないのかと気づき始めた。

そもそもが暴力革命を目指していたのに、なぜか戦争反対を唱えていた左翼政党といえど、自衛戦争ならできるという。
しかし憲法を厳守するなら、そんなことはできない。
「国の交戦権は、これを認めない」と書いてあるのである。

今後の日本が自分の方から戦争を起こすなどということは考えられない。
この条項を削除することで、日本は侵略されたら戦いますよ、と宣言するだけで大きな抑止力を持てるのだと思うが、議論にすらなるまい。



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