2016年9月1日木曜日

尖閣関連の報道は重大事項なのではないのか?

新聞もテレビも、迫りくる危機を正しく報道していないのではないだろうか。

尖閣諸島に押し寄せる中国の大船団を、国民に隠しおおせなくなってようやく、なんとなく報道したに過ぎないように思う。
国土を侵されたとき、国民一人一人がどう対処すべきか、という議論に結びつくことを避けるように避けるように導いているようにすら感じる。

現に日本の豊富な漁場を荒らしまわっていたら、平たく言ったら泥棒か強盗かということである。
逮捕しろと言って当然なのではないのか。
八丈沖の珊瑚だって根絶やしになるくらい略取されたが、おかまいなしだった。

これらの報道の仕方は、島に上陸されるのを指を咥えて見ていろというに等しく、「どうしたらよいか」という国論が高まるように論ずべきだという主張もない。
尖閣は、占拠されたら竹島と同じことになるくらいでは済むまい。
日本の弱腰に味をしめたら、次は沖縄、その次は九州となることを想像すらできないほど、日本国民は腑抜け状態になっているのだと自覚させようとする気が全くない。
国が盗られても平気だという国民ばかりなのだろうか?
憲法9条を後生大事に守ることばかりを唱えるのが平和だとする意見に唯々諾々したがって、国を守ることは考えないというのだろうか?

話し合いで解決するだの憲法を守れだのと、大声で主張していた人たちは、実際の危機が迫ると影を潜めてしまうが、こんなときこそ自説を証明しようと働くべきなのではないのか?
口先だけではすまない。
何かを守ろうとするときは、実効のある策を持ち、それを果たす責任があるのだと思う。
それでこそ、戦争という最悪の事態が避けられる。

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