2016年9月25日日曜日

思惑にはまらないことも大事

正当な選挙により樹立されたのではない国の政府、例えば易姓革命・軍事クーデター・棚ぼた式独立などは、前政権の徹底的な否定から始まるのは仕方ない。
これに齟齬を来すと、お決まりは教育とプロパガンダにより外に目を逸らす手段をとる。
その時に恰好な相手として日本を使っているように感じられてならない。
そういうことを理解した上でニュースというものを読まないと、判断を間違う。

どこの国も同じ基準でものを考えるのだと考えて、悪口を言われるのは日本側だけに落ち度があるのではないのか?と思い込んでしまう正直な人を一喜一憂させ、昔なら外患罪に問われても仕方のないような報道の仕方をすることがあっても、チェックされることも罪に問われることもない。
そういう自由な国に住んでいるのだから、賢くあらねばなるまい。

よその国で勝手に騒いでいることをいちいち報道してくれなくても良いと思うことがある。
何らかの思惑があって、自分たちの主張の方向にリードしたい勢力というのがあるみたいに感じられ、いったいどこの国の人が尻馬に乗ってしている報道なのかと疑ってしまうようなものもある。

読んで不快だと感じたら、それはきっと正しい判断なのだと思う。
強く出られれば引くというのが日本人だと見透かされているのかも知れない。

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