2018年7月13日金曜日

聞かされる方はたまらない


多分、明治時代にできた訳語だと思うが、speech を演説と訳した人の言語能力には驚嘆する。
演説とは、「議会や民衆などの聴衆の前で自分の主義・主張や意見を述べることである。」と辞書にはあるが、「説を演(の)べる」という表現を思いつく才能には恐れ入るばかりである。

説というのは、「ものごとの義や理を解釈して説き示したもの。または物事によせて意見を述べたもの。」ということであるから、単なる言いっ放しの主張とは異なり、筋道だった説得力があって他人の同意を得られるものということになる。

日曜日の朝になると某政党の宣伝カーが近所の公園にやってきて、まだ寝ている人もいるであろう時間帯に、拡声器を通した大音量で、わけのわからないことを主張するというか言い放つだけで帰っていく。
演説ではなくて、自分の側からだけの主張である。
なんとなれば、他党の悪口を並べ立てるだけで、何故それが気に入らないかという納得できるような説明が伴わないからである。
自分がそう思い込むのは勝手だからどうでも良いが、他人がそれに同調してくれるとでも思っているのだろうか? 一方的に聞かされるだけというのも、迷惑と言えば迷惑。
近所の住民の反応は冷ややかで、側に行って聞く人は皆無だし、何の目的でやってきているのかさっぱり解らない。長時間に及ばないことだけが救いと言えば救い。

悪口と反対だけを唱えてみても、何の役にも立つまいにと思ってしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿