2018年7月30日月曜日

聞く側の姿勢も必要

TVをみていたら、自分の手掛けた事業が成功した人たちが出てきて、いろんな意見を述べていた番組があった。
それぞれに今までと違った観点や手法を見つけ出して成功したことは間違いない。
なるほど、そうすることがうまく行く要因であったのかと理解できることが多かった。
しかし、常識を否定するような表現があったことには違和感を覚えた。
いわく「常識というのは個人個人で違うのだ。」というのである。
今まで常識とされていて、そこから違う見方をしてみたら、別の工夫ができるというのならその通りであろうが、それが常識を否定することに結びつくようなことではあるまい。
常識というのは、社会生活をしていくためのベーシックとしての共通認識として、多くの人が争わずにすむように培ってきたものではないのか?
意見・主張が人それぞれだということと、常識と一括りにしたものと較べるのは、論理的ではない。言葉の定義をしないでものを言うと紛れが出る。
それを混同すると、ドキュンと言われる人たちをも認めざるを得なくなるではないか。
常識というのは、その殆どが「法」としての制限は受けないまでも、それに次ぐ規範となっているものが多いのである。

思い込みというのが強くないと成功を収めることは難しいということはその通りであろうが、それが強すぎれば、受け入れられないことが多くなることも事実であろう。
会場にいた聴衆が、常識というのを否定することに賛成するような反応をみせていたことに、
人前でものを言う人の責任の大きさを感じさせられた。


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