2018年7月15日日曜日

防災予算は増やすに価値ある

文明というのは、大きな川の周りから発展したという歴史がある。
田畑を拓き、住み着く人が増え、村ができ町になるにつれ、道を広げ堤防を造り、自然災害への備えをするようになる。
インフラの整備というのは、そもそもがそういうものであろう。
原始の時代ならいざしらず、国家百年の大計に立てば、それを無視するわけにはいかない。
但し、そのためには莫大な費用が必党になるのは当然である。
そのための予算が無駄であるとし、コンクリートから人へという耳障りのよいスローガンで、極端な方針転換をしてしまったことは、取り返しのつかない事態を招いた一因となっていないだろうか?インフラの整備は、継続していくことが大事なのである。
災害というのは、起こらなかったらそれを可として喜ぶのであり、起こらなかったことをもってそれにかけた費用を無駄だとするようなことではない。
予算というものは一旦落としてしまうと、それを復活させるのは容易ではない。
目先の損得で判断すると、将来に禍根を残す。

今回の想定外の雨量により起こった災害だって、備えというものを継続して積み重ねてきていたら、ある程度は軽減できたかもしれない。
いずれにしても、起これば甚大な被害を及ぼす災害への備えは、時間がかかったとしても、継続してやっていかなければならないことであることは間違いない。

公共事業というのを目の敵にした時期があったことで、土木建築に携わる技術者は転職のやむなきに至り、他職への流失を招いた。呼び戻すことは難しい。
なんでも廃止するということは、弊害が伴うのだということも考慮しないと、そうなる。

それらの技術は、一朝一夕で身につくものではなく、先輩からの指導の下、長い経験を積むことで培われる。この技術をかってのように復活するのは並大抵のことではあるまいが、政権が替わったことで予算が付くようになったことは良かったと思える。
談合や癒着が疑われることのないように、適正で効果的な工事が進展することを願ってやまない。


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