2018年7月17日火曜日

職人と客

着物一枚帯三本といわれる。着物が一枚しかなくても、違った雰囲気の帯が3本あれば、3枚着物を持っているのと同じくらい、着こなしの幅があるという意味で使われるようだが、そればかりではあるまい。
日本の職人というのは、自らの技量を高め、使う人のことを考えて仕事をした結果なのだと思う。
職人が成してきた仕事に関連して、一・二・三のように数字を振るものが多い。

昔から茶道を嗜む人たちが「一楽二萩三唐津」と呼んで、茶碗の中で特に好まれたのが、楽焼・萩焼・唐津焼であると言われています。

楽、萩、唐津とも400年以上の歴史を持ち、その時代時代の要望に応えた変化をしながらも、伝統の技術を守る職人の努力によって、実用品としてばかりではなく、芸術品としての域にまで、その価値を高めてきた。

楽茶碗は、ご存知の通り、わび茶の世界を完成させた千利休が創案し、楽家の初祖の長次郎に茶碗を作らせたのが始まりであるとされる。
ろくろを使わず、手で捏ねて成形し、ヘラで削って形を整えます。
釉薬の色は黒(黒楽)と赤(赤楽)があります。

萩焼は、山口県萩市を産地とする焼き物で、初代は坂高麗左衛門。
朝鮮の役に参加した毛利輝元が朝鮮から連れて帰り、その後帰化した人である。
そのため萩焼は、土味、素地の景色、釉薬など、古い朝鮮茶碗と大変に似ているのだとされる。
一般に口が開き、高台に向けてすぼまるすり鉢のような井戸形の茶碗が多く、絵も付けないため、非常にシンプルな形状の茶碗である。
萩役の釉薬は土よりも縮み方が大きいため、貫入とよばれるひびが入っているのが特徴。
使いこむと、そのヒビに茶が染み込んで独特の景色を生み出し、味わい深く変化していくことから、これを、『萩の七化け』と呼び、茶人は珍重した。

唐津焼は佐賀県唐津市界隈で生産される焼物です。
16
世紀後半にはこの地域に窯が築かれ、朝鮮半島への出兵後に、朝鮮半島から同行してきた陶工たちが、祖国の技術を伝えたと言われている。
花鳥、草木などの絵付けされたものを絵唐津と呼びますが、土色の器肌と素朴で伸びやかな絵柄の茶碗は独特の雰囲気を生み出し、古くから茶人に好まれた。



0 件のコメント:

コメントを投稿