2018年7月18日水曜日

自分達も敗戦国だと理解できないのだろうか

論理的思考の原点が欠如していると、変な言葉を創り出しても、それが変だと感じることができなくなる。当然のことながら論理矛盾に気づけないから、治ることには期待できない。
例えば、サッカーの試合で、未だに「戦犯国」だとか「戦犯旗」などと韓国人が口にする言葉。
敗戦国という言葉はあるし、確かに日本は敗戦国といえるであろう。しかし、戦犯国などではない。戦争は、極端な方をすれば、国際法上は違法とされていない。
敗戦国と呼ぶなら正しいとしても、それを言うなら韓国もそうなのだと理解することすらできないくらい、彼らの脳内回路は痛んでしまっているらしい。
日本軍と実際に戦火を交えた旧連合国の中で、日本国を指して「戦犯国」とか「戦犯国民」などと呼んでいる国はない。唯一、旧連合国とは無関係な韓国人だけがそう呼んで、日本を嘲笑して憚らない。しかし、哀れなことに韓国は戦勝国ではない。気の毒だが、如何に偉そうなことをいったとしても韓国は戦争で勝ったということが一度もない国である。
そもそも、まず「戦争犯罪」とは何なのだろうかということを考えられなくては、論理が組み立てられまい。
戦争犯罪とは、具体例をあげれば、戦場における市民の虐殺、毒ガスの使用、捕虜の虐待などを意味する。戦争にはハーグ条約やジュネーヴ条約などで予め定められた国際的なルールがあって、それに違反する行為が戦争犯罪に該当する。
日本が日中戦争や太平洋戦争等で戦争犯罪を行った事実はあり得たであろうが、同様な犯罪は戦勝国側にもあったのであり、同じように当時の連合国もまた「戦犯」の責を免れないことは当然である。しかし、この点で相互主義や平等性の原則が適応されなかった極東軍事裁判のアンフェアさは指摘しておく必要がある。
ただ、敗けた側が一方的に責めを負わされるのは致し方ない。それが戦争というものである。
そういう意味でも、当時の朝鮮人(韓国人)は、日本軍の戦争犯罪側にいたのである。
将校クラスも少なからずいて、兵士に命令する立場だったから、「当事者」だったといえる。次に、捕虜収容所の監視員として、多数の連合軍捕虜を虐待したともいわれる。韓国人のBC項戦犯148名のうち、大半はこの監視員である。彼らは強制徴用されたわけではなく、すべて志願だ。つまり、連合国史観によれば彼ら自身が戦犯と認定された身である。
終戦後、韓国は必死になって連合国側の一員であったとしてくれと泣きついたが、にべもなく拒否されたというのが歴史事実である。韓国も紛れもない敗戦国なのである。
それにも増して、戦争犯罪というなら韓国がベトナムで行った戦争犯罪は、20世紀後半では最悪の一つに数えられる。
地上戦での虐殺、無差別爆撃、化学兵器の使用などで、一説には200万人くらいのベトナム人市民や農民が虐殺されたと言われている。そのうち、のべ32万を派兵した韓国が犯したのが地上戦での虐殺である。韓国軍は次々と農村を殲滅していったが、その特徴は女性や子供などを嬲り殺すという異常なほど残虐なものだったという。
そういうことには口を拭って、日本を「戦犯国」などと呼んで恥じない思考回路というのは、どこからきているのであろう。

旭日旗についてもそうである。韓国以外の諸外国は、旭日旗に敬意を払っているし、その使用について廃止を求めたりしていない。だとしたら韓国の考え方がおかしいのだとの疑問をなぜ持たないのだろうか?
慰安婦についても同様であろう。当時の韓国の人口は約2300万人であり、そこから20万人も強制連行したら大暴動が起こっても不思議ではない。韓国の男が全て腰抜けであったと認めるならまだしも、そんなわけはあるまい。
1件も連行を阻止しようとする暴動がなかったとしたら、強制連行などというものはなかったのだと考えるのが論理的思考というものである。
論理矛盾を越えてしまう感情的暴走を優先させてしまう国情では、事実を解明するような学問は無理ということになる。即ち孤立する道を選ぶしかないということになる。


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