2021年8月16日月曜日

第二の文革を目指しているのだろうか

 

中国では7月下旬、中国政府が発表した学校教育に関する「ある通知」が国民を驚かせたという。通知では、小・中学校の宿題を軽減するほか、営利目的の学習塾を認めない旨が記されており、教育関連企業への影響が増大しているらしい。

国が認める教科書以外は使えなくなるともいわれる。

更には、全国公立校の在職の教師は校外で有償での学習指導を厳禁する。見つかった場合は、教師の資格を剥奪する。小中学生対象の学習塾の新規開設を認めない。既存の塾は非営利団体として登記し直す。その上、営利目的の活動を行ってはいけない。学習塾は株式市場で資金調達して学習塾事業に投じることを禁じる。投資会社も株や現金などで投資してはいけない。

週末や祝日、夏、冬休みに塾の学習を行ってはいけない。就学前の児童を対象にする学習類(英語も含む)の塾を厳禁する。

第二の文化大革命を目指しているようにさえ見受けられる。

少し前からこれまでの旧教科書では、文革について「20世紀60年代、毛沢東は党と国家が資本主義の復活の危険に直面しているという誤った認識を持った。資本主義の復活を防止するために、習近平は文化大革命の発動を決定した」と説明している。

新教科書では、「誤った認識(錯誤認為)」の錯誤の二文字を削除し「20世紀60年代なかば、毛沢東は党と国家が資本主義復活の危機に直面していると認識し、『階級闘争をもってこれを改める』と強調し、文化大革命を通じて資本主義の復活を防止しようと考えた。それで1966年夏、文化大革命が全面的に発動したのである」と書き改めた。つまり毛沢東の認識は間違っていなかった、と言うのが中国共産党の正式な見解となったということになる。「文化大革命の十年」という旧教科書での章名も、新教科書では「艱難辛苦の探索と建設成就」と改められた。文革は、中国において近代建設成就のために必要な苦労であったというわけにした。

なぜ今更、習近平が文革を美化、あるいはその悲劇を淡化しようとしているのか。

中国の王朝の崩壊は、多かれ少なかれ民衆の暴動がその遠因となった歴史を持つ。

なにせ情報が伝わらないようにしている国のことだからさっぱり判らないが、一党独裁の国内政治の運営に重大な影響を及ぼしかねないよほど困った状況に追い込まれてでもいるのだろうか?

文化大革命は明らかに文化の後退であり、愚民化政策の極致だったのではないのか?

習近平が文革について、非常に深い思い入れを持っていることはかねてから指摘されていた。習近平が愛用するスローガンやキメ台詞には「党政軍民学、東西南北中、党が一切を指導する」といった文革時代に使われたものが多く、習近平が下放された先の陝西省北部の梁家河の経験を美化するようなラジオドラマを作らせたりもしている。

また、毛沢東時代の前半30年、後半30年ともに過ちはなかったという発言もしており、毛沢東を完璧な英雄だと見ているようでもある。

まあ他国内のことだからとやかく言えないが、一度自由と経済的恩恵の甘い汁を経験した国民が、政府の言う通り動くだろうか?文化大革命当時とは時代が違う。

米中の争いは、国力から比べても外交力から比べても分が悪い。人権問題を追及されたら、世界からも孤立する。

コロナの感染増大が再発しているというし、かの国のワクチンは効果が疑問視されてもいる。洪水の被害も甚大らしい。経済の先行きも豪語しているほどではなさそう。国民が国を見限れば、大挙して国外に脱出する可能性だってある。

その場合に難民として向かう先は、ロシアや韓国や北朝鮮となる筈がない。もっとも好もしい先として日本が狙われる。遵法精神が涵養されている民度をもつ民衆であるとは思えない。

民度や考え方が違う大量の人数が押し寄せたら、対処は不可能になる。

マスコミは報道しないが、これこそ考えておかねばならない大問題ではないのか。

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