2021年8月28日土曜日

神話を否定したい学者がいるというが

 

歴史ではないと言い募り、どうしても否定したいむきがあるようだが、神話は神話でいいではないか。

日本人の精神的支柱として十分意味がある。

 

海幸彦・山幸彦の神話。

天孫ニニギ(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)の子、ヒコホホデミ(天津 日高日子穂穂手見命)は、兄から釣道具を預かって海に出たが、一つの成果もなく、かえ って釣針を失ってしまった。

釣針の返済を強硬に迫る兄に困ったヒコホホデミは、シオツチの神 の勧めにより、海神ワダツミの宮に参って釣針を取り戻すべく、無間勝間の小船(目が固 く詰まった竹籠状の船)で大海原へと乗り出した。
ヒコホホデミはワダツミの宮で海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘売)と結ばれ、そこで 三年の年月を過ごすことになった。

帰国したヒコホホデミは、海神の助力を得ての戦いで 兄を撃ち破ることができた。

その後、ヒコホホデミは出産のため、海岸に上がってきたト ヨタマヒメを迎えたが、その際、トヨタマヒメは「出産の時、異国の女は本来の姿を現し ます。だから産屋を覗いてはなりません」とヒコホホデミに告げた。
好奇心にかられたヒコホホデミは、つい産屋を覗き、そこに巨大なワニがはいまわって いるのを見た。本来の姿を見られたことを恥じて、トヨタマヒメは海に帰ってしまう。か くてこの世に生を享けた子、それがウガヤフキアエズ(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合 命)であった。彼は叔母のタマヨリヒメ(玉依毘売)に育てられ、後にその叔母との間に 四子を成す。そしてその末子が大和朝廷の創始者・神武天皇となるのである。
 以上が『古事記』の語るウガヤフキアエズ誕生のいきさつであり、『日本書紀』もほぼ 同様の話を伝えている。

この物語は海幸山幸として親しまれているので、知っている人が多い。

神話として残っているなら、そこには必ず意味があるのだと思うが、ウガヤフキアエズは、神代の神々の系譜と大和朝廷とをつなぐ結節点と もいうべき立場にいながら影が薄い。

記紀ともに彼の出生の経緯は詳しく述べているにも関わらず、その具体的な事蹟は語らていないのである。
生まれると共に母に捨てられ、海岸に置き去りにされた赤子、その姿には哀れを誘うも のがある。そのせいででもあろうか、多くの「古史古伝」の中では、ウガヤフキ アエズは単独の神の名としてではなく、幾十代にも及ぶ、栄光に満ちた王朝の号として語 られる。
『日本書紀』の神武即位前紀には、天孫降臨から神武東征の開始まで、百七九万二四七〇 年余りもの歳月が流れたという記述がある。これが誇張だとしても、ニニギ-ヒコホホデ ミ-ウガヤフキアエズというわずか三代の年代とするにはあまりにも過大である。また中 世にも『曽我物語』真字本に「ウガヤフキアエズが本朝を治めること十二万三千七百四十 二年、その後、神代の絶えること七千年、安日という鬼王、世に出て本朝を治めること七 千年」とあるようにウガヤフキアエズ在世から神武天皇の登場までに年代的ブランクがあ るという伝承があった。

その辺にウガヤフキアエズ王朝の神話が生まれる原因の一つがあ ったのだとすればよい。

 

変な小理屈をこねて、和の五王も否定してしまいたいらしいが、仁徳天皇はどうする?

歴史はイデオロギーでとやかくできるものではあるまい。

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