2021年8月19日木曜日

いろいろわかってくることがある

 

米国のフーバー元大統領の回顧録に、太平洋戦争は「戦争をやりたかった狂人により引き起こされた」というような表現があるのだという。

会談したマッカーサーも、これに同意したのだとも。

 

時間が経過するにつれ、いろんな事情がわかってくる。

事後法である「人道に対する罪」などというもので裁いた裁判に正当性はあるのか?

パール判事やイギリスのハンキー卿なども、東京裁判には異を唱えていた。

 

それでもなお、戦後76年も過ぎたのにいまだに総懺悔の考え方から脱却させない動きが強い。

戦争に対しての反省は必要だし、二度と戦争を起こさないようにするというのもその通りだと思うが、いつまででも謝り続けるというのも、非武装中立などという非現実的な流れのままでいるのも、妥当とは思えない。

 

ホイットニーに脅されて受け入れてしまった日本国憲法。

極東委員会をマッカーサーがかろうじて抑えている。天皇を極東委員会がどうしたいと思っているのか知っているだろう、この憲法を受け入れれば日本の独立は早まる、などなど。

敗戦国日本が抵抗できる筈がなかったが、GHQによる即席憲法の押し付けは、勿論国際法違反である。70年経っても日本が改正できないまでに洗脳されきってしまっているのは、情けなさすぎる。彼らは日本が独立すればすぐにでも改正するだろうと想定していた。

日本が世界で働けないようでは、再び戦争を招きかねないとは考えないのだろうか?

真摯に反省したのであれば、新たな出発というのも考えなくてはなるまい。

 

戦争をすれば双方に悲惨な結果を招くことになるのは、誰であろうと否定できない。

異常事態であるから想定外の行動をとる者も必ず出る。

太平洋戦争と名前が変えられてしまったが、日本側の呼び方は「大東亜戦争」であった。どう調べてみても、日本は限定戦にとどめたかったのである。

米国を直接相手にすることは避けるとするのが軍部の共通認識であったという。

限定的な戦争をしているうちに外交交渉で解決を図るという戦略であった筈が、真珠湾攻撃を主導してしまったYIと、それを許してしまったKFの思惑が、影響したのだという指摘もある。

当時の世界はコミンテルンの謀略が浸透しつつあった。混乱をさせることで革命を狙う戦略であったとされる。想像以上にそれは広まっていた。

国が亡びることになるかもしれない瀬戸際にあっても、巧妙な謀略(革命のためには戦争により国が疲弊し、混乱している方が都合がいい)からは逃れられない。

有色人種は人間ではないと本気で信じる白人が、世界を支配していた時代なのである。

日本を滅ぼしてしまいたい勢力が、その他にも確実にあったのだと思えてならない。

 

毎年この時期になると、戦争の愚かさを追求する番組が放映されるが、守らねばならないものがあるとして、大義のもとに命がけで戦った人たちが犬死のように扱われるのは違うのではないかと思ってしまう。戦争を美化するのでは決してない。しかし、彼らのお陰で今の日本があり、今の東南アジアがある。

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