2021年8月18日水曜日

騒いでも思い通りにならなくなった

 

豊臣秀吉の朝鮮出兵・慶長の役(1597~98年)に、加藤清正は生涯にこんなに楽な戦はなかったとかたったという。海での「鳴梁海戦」の際に李舜臣が王にささげた「臣にはまだ12隻の船が残っております」と上奏したのだというが、決死の覚悟の将兵に対し援護をするでもなく、李王朝は李舜臣を重用する考えはなかった。  韓国では同海戦で李舜臣がわずか12隻の船で日本軍330隻を撃破したとされているようだが、当時の日本の文献等では、朝鮮海軍は実際にはさしたるダメージを日本に対して与えられず、すぐに撤退したと記されている。

停戦協定を反故にし、引き揚げる日本船を卑怯にも背後から襲おうとしたが、殿を努める薩摩軍の反撃により、敢え無く返り討ちにあって戦死した。

彼のこの上奏文も、決戦に向かい奮い立つような名言とは言い難い。

オリンピックで、これをもじった横断幕を掲げたが、敢え無く撤去させられた。虎の垂れ幕も同様であった。何を言いたいのかさえ分からない。

 

よせばいいのに今度は李舜臣公園に韓国船を集め、福島原発処理水放出を汚染水だと言い張って抗議デモをおこなったのだという。

福島のは処理水であって汚染水ではないし、まだ放出してもいない。

汚染というならば、韓国の月城原発の高濃度の汚染水そのものの流出による汚染はどうするのか?しかも放射性物質だけでなく海洋投棄されている恥そのものの不潔極まりない汚物の影響は、韓国自身の問題としてどう考えているのか?

自分たちのことは棚に上げ被害者ぶって騒ぐだけだから、品も悪くなる。

 

国運を賭けての日露戦争のときの日本海海戦に、Z旗を掲げ(Zには後ろがないことから、不退転の決意を示す。各員一層奮励努力せよとの意味を持つ。)戦ったのとは格段の相違がある。

「敵艦見ゆとの報に接し、我が連合艦隊は直ちに出動之を撃沈滅せんとす、本日天気晴朗なれども波高し」と打電し決戦に及んだというが、何とも言えず格調が高い。

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