2021年8月22日日曜日

対岸の火事ではないと考えないと

 

独裁政権の脅威というのは、政権支持率ということを考慮しないでよいということに尽きる。

選挙という民主的な手続きを経なくて済むのだから、一部の権力者の思いのままになる。

民生や経済に行き詰ってどんなに民衆が困窮し不満を抱いたとしても、それを主張する者たちを武力で封じ込めてしまえば済む。

そういう体制対する一番の脅威は政敵との内部抗争であるが、権力闘争により粛正してしまうのであるから、一度敷かれてしまった体制が変わることは期待できない。国がつぶれることはない。

 

一説には、毛沢東は自国民を1億人は死に追いやったと言われているが、表沙汰にされることはない。

そういうところに目が向くことは何故かどこも避ける。美化することには熱心である。

彼らがどんなに理想的な政策を打ち出して宣伝しようとも、民心を離れてしまうことを是正できないのだということは否定しきれないのに、ヨイショ記事だけを流していていいのだろうか。

 

張角よって起こされた黄巾の乱は、歴史が変わるきっかけとなったが、その檄文に「蒼天已に死す」「黄天当に立つべし」というのがあるが、それを現在風に読み替えることはできるのだろうか?

 

先の大戦は、「人種差別」「人種間戦争」という側面を排除して評価することはできない。

そこに目が行くことを日本悪者説を徹底的に擦り込むことで7年もかけて日本人に洗脳した。

日本人は人類の脅威になりそうなものに対する嗅覚のようなものがあった。

人種のほかに迫り来ていた共産主義思想である。

日本人の能力を徹底的に破壊したかった米国は、今になってそのツケを払わざるを得なくなっている。日本がコミュニズムの防波堤であったのを、自分たちが前面に出て防がなければならなくなっているのである。

日本に知恵がないとは思えないが、当時のことを持ち出すと、やれ右翼だのやれ戦争賛美者だのといって圧殺してしまう世の中にしてしまったのだから仕方ない。

ただ、確実に言えることは、自国は自国で守る気構えを見せなくてはならないということ。

アフガンや香港の例を見るまでもない。後から泣き言を言っても始まらない。

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