オリンピックに出場しメダルを獲得できた選手へのインタビューをすると必ず口にする言葉がある。
「コロナ禍のなかオリンピックを開催して下さったことに感謝します。」
彼らは人一倍感染することがないように自らを律し、常人では及びもつかない努力を長いこと続けてきたのである。
選手を辞退せよ、というような嫌がらせに耐えて栄冠を勝ち得たことは、文句なしに賞賛されて然る可しだと思う。
民法は、1050条もある大法典ですが、その第1条に規定されているのが、民法の基本原則です。
基本原則は、①公共の福祉、②信義則、③権利濫用の禁止の3つから構成されています。
信義則を定める民法第1条第2項は、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」と規定しています。
「信義に従い誠実に行わなければならない」とあることから、「信義誠実の原則」とも呼ばれる。社会は人々の「信頼」に基づいて成り立っているものであるから、当事者たちは相手方のもつ「信頼」を裏切らないように行動しなければならないということになる。
信義則は、規定上は「権利の行使及び義務の履行」で作用するとされますが、実務的には広く柔軟に用いられている。民法全体の解釈において利用されるのはもちろん、民法以外でも援用されます。なぜならそれは、民法が私法全体の一般法規であるからである。
信義則は、「他人を裏切ったり、不誠実なことをしたりすることがないよう行動しましょう」という倫理的なことを注意的に規定したものということになる。そのため、信義則を使う場面というのは他の条項で解決できないときの最後の手段として利用される。
人は多かれ少なかれ権利主張の方を義務の履行に優先させる。もっともらしい理由をつけるが、それで正当性が保てるわけではない。
例えばオリンピックで人が外にでるのであれば、自分も外に出て酒を飲んでもいいではないか、というが如きもの。
しかし、他人には自分にもできない清潔さを要求する。
何か事あれば正義の味方面して言いたい放題をする人がTVに出てくる。
クリーンハンズの原則とは、文字通り自分の手がきれいでなければ、法の保護は受けられないという原則である。
言い換えると、自分は法律違反をしておきながら、法律で助けてくれと言うことは許されないということである。法律を遵守するという誠実な対応をしない人は、信義則上保護に値しないからです。
しかしながら、何もかも雁字搦めにして縛り付けられたら、息をすることさえ憚らねばならなくなる。
人は過去から現在に至るまで完全無欠でいられたことなぞ殆どあるまい。お目こぼしに預かって生きている。だから、あるとき突然のように正義を振りかざすのには、自ずから限度があって然るベシと思うのである。
そのうえで、多くの賛同を得られる道を選ばねばならないのであって、他を責めることではそれを成しえないと思っている。
自分が先ず守れることを守ることから始まる。
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